京都市右京区京北鳥居町宮ノ元、京都市の北部山間の地にある京北町の古くから西の鯖街道として知られる国道162号(周山街道)と477号が交わる交通の要所・周山バスターミナルの北東、桂川沿いの山里にある神社。
細野、宇津、周山、弓削、山国、黒田の地域で構成される京北地区の山国地域に鎮座する神社です。
第50代・桓武天皇による794年(延暦13年)の平安京遷都にあたり、御所の大内裏造営の木材を山国の郷より調達することとなり、この郷を木材を切り出す天皇の所有地「御杣御料地(みそまごりょうち)」と定め、宝亀年間(770-80)に修理職(しゅうりしき)が本殿を造営したのがはじまり。造営に際しては和気清麻呂(わけのきよまろ 733-99)が祭主として奉仕したといいます。
以来天皇の即位後最初の新嘗祭にして一代で一度限りの重要な式典である「大嘗祭(だいじょうさい)」の際に新穀を供する東の悠紀殿(ゆきでん)・西の主基殿(すきでん)の両御殿を造営する際の用材を当地から調達する事が恒例となりました。
また927年(延長5年)にまとめられた当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧「延喜式神名帳」においても「式内社」にも選ばれているなど、皇室ゆかりの神社として古くより厚い信仰を集めています。
平安中期の1016年(長和5年)には第67代・三条天皇より正一位の神位を贈られ、御祈願所として菊花の紋章を賜るとともに、春日・加茂・御霊・日吉の四社を建立して五社明神とされました。
平安後期の源平の兵乱にて破壊され、鎌倉時代の1233年(天福元年)に第87代・四条天皇により再建されたものの、鎌倉末期の1333年(元弘3年/正慶2年)に第96代・後醍醐天皇を中心とした勢力が押し進めた鎌倉幕府の倒幕運動「元弘の乱」に伴って再び破却されます。
その後、1370年(応安3年)に室町第3代将軍・足利義満(1358-1408)の臣・細川頼之が当地にて隠棲し、3年後の復職の際に本社復興を執奏。
これを受けて1399年(応永6年)に社殿が復旧されるとともに綸旨を賜り、この際に義満が二つ引きの紋を奉納し、以来この紋章が神社の紋章とされました。
その後戦国時代に再び破却されますが、1596年(慶長元年)に第107代・後陽成天皇により再建され、1873年(明治6年)に郷社、1900年(明治33年)には府社に列格されています。
また当社は明治維新の際に新政府軍と旧幕府軍が戦った「戊辰戦争(1868-69)」において、いち早く新政府軍に参加した官軍「山国隊」ゆかりの神社としてよく知られています。
幕末の1868年(慶応3年)に天皇による親政「王政復古の大号令」が宣言され新政府が発足すると、朝敵となった徳川幕府の討伐のため西園寺公望(さいおんじきんもち 1849-1940)を総司令官とする勤皇隊の組織の檄文が、皇室御料地として皇室との関係が深いこの山国庄にも届きますが、すると地元の庄屋たちは直ちに83名の農民部隊、後の維新勤皇山国隊を結成し、この山国神社で出陣の誓いを行いました。
そして上京した山国隊の隊士たちは因幡の鳥取藩士に付いて関東や東北地方を転戦し、「甲州勝沼の戦い」では近藤勇ら新選組を中心として組織された甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)と、「上野戦争」では江戸の治安維持を担当し江戸城無血開城後も徹底抗戦の構えを見せた彰義隊(しょうぎたい)と交戦し活躍。1868年(明治元年)11月の東征大総督・有栖川宮の凱旋行進では錦の御旗を守って帰京を果たし、翌年には大勢の人々が出迎える中で鼓笛を奏しながら山国へと凱旋し山国神社を参拝。以来山国隊は郷土の人々の誇りとなっています。
1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会をきっかけに平安神宮が創建されると、その記念事業として「時代祭」が開催され、その後は毎年開催されるようになりますが、山国隊は第1回より参加して、1918年(大正7年)頃までの25年間、行列の先頭を行進。今ではすっかりおなじみとなっている鼓笛の演奏は、錦の御旗を掲げて凱旋した時の様子を再現したものだといいます。
現在は経済的その他の理由から毎年継続的に派遣することが難しくなり、京都市中京区の朱雀学区の人々がその代わりを務めるようになっているものの、現在も行列の先頭を飾るのは維新勤皇山国隊の鼓笛演奏となっています。
この天、この維新勤皇山国隊の行進は「山国隊軍楽」として2003年(平成15年)3月14日に京都府の無形民俗文化財に指定されており、現在は山国神社にて毎年10月に開催される「例祭」の還幸祭においてその雄姿を見ることができます。
そしてその「還幸祭」では「山国隊軍楽保存会」の鼓笛を先頭に、御輿行列が山国の町を練り歩き、当日は特産品などを即売・展示する「山国さきがけフェスタ」も同時開催され、普段はひっそりとした山里がこの日ばかりは大変な賑わいとなります。
また境内を囲むようにして立つ杉木立は、上桂川の清流を挟んで背後に広がる北山杉の山々と相まって山国地域の象徴的な景観を形成しており、「京都の自然200選」の一つに選ばれています。