京都市左京区八瀬野瀬町、京都市北東部に位置し比叡山の西麓にあたる八瀬地区の比叡山にほど近い側に設置されている京福電気鉄道のケーブルカー路線「京福電気鉄道鋼索線」、通称「叡山ケーブル」の駅。「叡山ケーブル」の公式イメージキャラクターはアテンダント見習いの「八瀬かえで」。
「叡山電鉄叡山本線」および「叡山ロープウェイ」とともに京都市内から比叡山山頂へ向かうルートが形成されており、京阪と連絡する叡山本線の出町柳駅から終点の八瀬比叡山口駅に到着した後は、徒歩で叡山ケーブルのケーブル八瀬駅でケーブルに乗り換えてケーブル八瀬駅へ、更にそこからロープウェイ比叡駅でロープウェイに乗り換えてロープウェイ比叡山頂駅へと向かう形になり、当駅はこれらのルートのうちの中間、八瀬と比叡山中腹を結ぶケーブルの比叡山側の駅です。
この点、比叡山にある「延暦寺」は日本の仏教を代表する宗派の一つ、天台宗の総本山で、京滋をまたぐ標高848mの比叡山全域が境内となっており、東塔、西塔、横川の三塔十六谷の堂塔で構成されている広大な寺域を持つ寺院です。
788年(延暦7年)に伝教大師最澄が比叡山の山頂にて創建の後、平安京に遷都後は北東(鬼門)を守る鎮護国家の道場され、天台密教の拠点として天台宗の基礎を築いた円珍・円仁をはじめ慈円・源信や、後に新仏教を開いた法然・親鸞・一遍・道元・栄西・日蓮などの高僧を多数輩出した「日本仏教の母山」であり、戦国時代の1571年(元亀2年)には織田信長による有名な焼き討ちに遭い堂塔伽藍をことごとく焼失するも、その後豊臣秀吉・徳川家康によって復興が進められ、現在も数多くの国宝や重要文化財を所蔵しているほか、1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されています。
そして「比叡山」は京都市と滋賀県大津市の境にある山で、西の標高839mの四明ヶ岳と東の標高848mの大比叡(おおひえ)を中心とした5峰が連なる山で、東西の両斜面は急崖であるものの山頂部はなだらかで、一帯は琵琶湖国定公園にも指定され、京都市街や琵琶湖を一望できる展望台や遊園地などもあり、山中は鳥類繁殖地として天然記念物にも指定されていて、修行道場として厳粛な雰囲気に満ちているイメージもありますが、延暦寺の諸堂拝観はもとより、自然散策や史蹟探訪などを気軽に楽しむこともできるようになっています。
また古くは京都の修学院から比叡山へと通じる「雲母坂(きららざか)」などの険しい山道を登る必要がありましたが、現在は西の京都八瀬からは「叡山ケーブル・ロープウェイ」、東の滋賀県側からは「坂本ケーブル」、また東西の両麓から「比叡山ドライブウェイ」も整備されており、アクセスも容易になっています。
1925年(大正14年)9月27日に電力会社・京都電燈が経営する叡山電鉄の平坦線(現在の叡山本線)の「八瀬駅(現在の八瀬比叡山口駅)」が開業したのとほぼ同時期の1925年(大正14年)12月20日、京都電燈が叡山電鉄の鋼索線として「西塔橋駅(現在のケーブル八瀬駅)」と「四明ヶ嶽駅(現在のケーブル比叡駅)」の間、1928年(昭和3年)10月には同じく京都電燈によってロープウェイの比叡山空中ケーブルが「高祖谷駅」から「延暦寺駅」の間でそれぞれ運行を開始したのがはじまり。
1942年(昭和17年)3月には戦時統制によって京都電燈が解散されるのを受け、同社の京都および福井での鉄道事業を分離・引き継ぐために「京福電気鉄道」が設立され、嵐山線・北野線・叡山線の路線継承とともに鋼索線も分譲譲渡され京福電気鉄道の駅となりました。
その後1944年(昭和19年)に太平洋戦争の影響でケーブル・ロープウェイともに営業が休止されましたが、戦後まもない1946年(昭和21年)にまずケーブル鋼索線の運行が再開されたほか、1956年(昭和31年)にロープウェイも叡山架空索道の叡山空中鋼索線として現在の「四明ヶ嶽(現在のロープ比叡駅)」から「比叡山頂駅」のルートで運行を再開しています。
この点、八瀬の地は北隣の大原とともに洛北を代表する景勝地の一つとして知られ、1964年(昭和39年)には京福電気鉄道の子会社比叡産業が経営する遊園地「八瀬遊園(やせゆうえん)」がオープンし、これを受けて当1965年(昭和40年)8月1日には叡山の八瀬駅が「八瀬遊園駅」、そしてケーブルの西塔駅は「ケーブル八瀬遊園駅」、四明ヶ嶽駅はケーブルが「ケーブル比叡駅」、ロープウェイが「ロープウェー比叡駅」とそれぞれ改称。
開業当時は遊園地の数もまだ少なく家族連れを中心に年間20万人近くの入場者があり賑わったといいますが、その後は他の遊園地との競争の激化から業績は低迷し、1983年(昭和58年)には若者向けのスポーツ遊園地「スポーツバレー京都」、1999年(平成11年)には「森のゆうえんち」としてリニューアルされましたが、京福電鉄の業績の悪化の影響も受けて2001年(平成13年)11月30日に閉園され、跡地には会員制ホテルの「エクシブ京都八瀬離宮」が2006年(平成18年)に開業され、この閉園を受けて2002年(平成14年)3月10日に京阪の八瀬遊園駅が「八瀬比叡山口駅」、当駅はケーブル八瀬遊園駅から「ケーブル八瀬駅」と改称され現在に至っています。
その後、自動車社会の到来に伴って1976年(昭和51年)3月31日に京都市電の今出川線が全線廃止されて市バスに転換されると、出町柳駅が他の鉄道と接続しない孤立したターミナルとなり、京都市内中心部と直結する路線バスに乗客が流れて叡山本線・鞍馬線の利用客が一気に減少したことで京福および京福を配下に持つ京阪グループの経営を圧迫する事態に。
そこで経営体制の見直しが図られることとなり、1985年(昭和60年)7月に京福の全額出資で叡山電鉄株式会社が設立されると、翌1986年(昭和61年)4月1日には京福が叡山電鉄に叡山線の鉄道事業を譲渡する形で叡山電鉄叡山本線の駅となり、その後、叡山電鉄が1991年(平成3年)に株式の60%が京福から京阪に売却され、2002年(平成14年)3月には全株式が京阪に売却されて京阪の100%子会社となったため、現在の叡山電鉄叡山本線は京阪グループ傘下の駅となりましたが、鋼索線は現在も京福電気鉄道の所属のままです。
この八瀬から比叡山頂までを結び比叡山の京都側(西側)の入口の役割を担っている「叡山ケーブル・ロープウェイ」のうち、まず八瀬から比叡山中腹までを結ぶ「叡山ケーブル」は「ケーブル八瀬駅」から「ケーブル比叡駅」に至るルート。
この点、ケーブルカーは直径40mmの鋼鉄製ロープで2台のケーブルカーをつなぎ、ケーブルカーをつないだ山上で滑車を回し、ケーブルカーをつるべのように引っ張ることで力強く斜面を登っていくもので、現在の車両は1987年(昭和62年)に武庫川車両工業で製造されたもので100名ほどが乗車できるといいます。
営業距離約1.3㎞を9分間で運行し、高低差561mはケーブルカーとしては日本一を誇り、途中にはカーブや急傾斜も多いほか、上りと下りの電車がすれ違うターンアウトなどの見どころもあります。
更に車窓からの眺めは絶景で京都市街を一望できるほか、季節ごとの景観を楽しむこともでき、春は桜、秋は紅葉のトンネルが周囲を彩ります。
一方、比叡山中腹から比叡山の山頂までを結ぶ「叡山ロープウェイ」は「ロープ比叡駅」から「比叡山頂駅」に至るルート。
この点、ロープウェイはロープの両端に搬器(ゴンドラ)を繋ぎ、ロープを滑車にかけ、モーターで滑車を回すことで輸送を行うもので、現在のゴンドラは大阪車両工業で作られたもので、30名の乗客を乗せ、比叡山中腹から山頂までの全長486mを約3分間、空中散歩を楽しむことができます。
比叡山頂には印象派画家の庭園と絵画が楽しめる「ガーデンミュージアム比叡」があるほか、「比叡山延暦寺」へと向かうシャトルバスが運行されています。
なお「叡山ケーブル・ロープウェイ」は通年営業の滋賀県大津側の「坂本ケーブル」と異なり、延暦寺への初詣客を輸送する年末年始を除いて12月初旬から春分の日頃までの冬季期間は休業であるため注意が必要です。
そして「ケーブル比叡駅」は八瀬と比叡山山頂の間の比叡山中腹に位置する駅で、事実上は叡山ケーブルから叡山ロープウェイへの乗り換えを行うための駅となっていて、当駅下車の場合はそのまま「ロープ比叡駅」へ、ロープ比叡駅下車の場合は当駅へと向かうこととなります。
ちなみに開業当時の駅名「四明ヶ嶽」は比叡山の東西に分かれた山頂のうち西の山頂を指す名前で、天台宗の聖地である中国の四明山にちなんで名づけられたものだといいます。
駅舎は開業当時からのものと思われる古いもので、「旧運転設備の展示」があるほか、待合室は比叡山に伝わる7年に渡って山中を歩き続けるという厳しい荒行・千日回峰行についての展示のある「千日回峰行写真館」も兼ねていて、待ち時間を潰すことができるようになっています。
その他にも駅の南西側にある「パノラマ広場」からは京都市街が一望できる眺望が広がっており、西に沈む夕日や美しい夜景を楽しむことができることで有名。
また広場の先には延暦寺へ続くハイキングコースも整備されており、つつじヶ丘展望台を経て延暦寺まで約40分、ガーデンミュージアムまで約30分で到着することができるほか、その手前のパノラマ広場から徒歩約2分の所にある「比叡ビュースポット」と呼ばれる展望台からの景色はパノラマ広場に負けず劣らずの絶景で、京都市内の北から南までを一望できるほか、天気の良い日には大阪のビル群まで見渡すことができます。