京都市左京区上高野釜土町、比叡山の西麓、八瀬にもほど近い上高野地区、高野川の南の高台にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。
山号は霊芝山(れいしざん)、本尊は阿弥陀如来立像。
江戸初期の1634年(寛永11年)、旭移(きょくい)が梅谷川より水の引かれている「夢想の滝」の音を、「観音経を誦する声」として出家し草庵を結んだのがはじまりといい、かつては滝の上に観音像が安置されていたと伝えられています。
江戸初期の創建ですが、稲荷町にあり明治の初期に廃寺となった称名寺の歴史を受け継いでおり、本尊・阿弥陀如来を継承し安置しているほか、1646年(延宝4年)に建立された後、1870年(明治3年)に上高野墓地入口への移転を経て2011年(平成23年)に「称名寺逆修板碑」が山門をくぐってすぐの所に移されています。
現在は毎年8月19日の夜に境内で行われる「上高野念仏供養踊」で有名。
この1年間に地域で亡くなった人々を偲んで供養し、念仏をとなえながら踊るもので、平安中期の949年に現在は廃寺となった称名寺の境内ではじまった後、900年余りにわたって地元の人々によって踊り続けられていましたが、大正末期に一時中断。
しかし1988年(昭和63年)、当時の様子を知る古老たちにより復興され、現在も地域の人々により踊り継がれていて、1991年(平成3年)4月に京都市の無形民俗文化財にも指定されています。
踊り場の中央に施餓鬼台(せがきだい)を設置し、住職による回向の後「念仏おどりが始まるほどに、やたらつらって踊ってたもれ」と踊りの開始を告げる口上が述べられると、太鼓や鉦に合わせ、南無阿弥陀仏と念仏を唱えながらゆっくりと施餓鬼台を中心に円を描くように踊り、その後亡くなった方々の身内によるお焼香が施餓鬼台で行われた後、再び供養踊が行われます。
厳かな雰囲気の中、踊り子の女性たちの揃いの浴衣に赤い襷(たすき)を掛け、作業用前掛けである三幅(みはば)前垂れを腰に巻き、右手に団扇を持って踊る姿が印象的です。
観光寺院ではないため堂内の通常拝観は受け付けていませんが、境内の散策は自由で、赤山禅院や修学林離宮の北に位置していることもあって紅葉は美しく、また紫陽花の時期も境内のあちらこちらで綺麗な花を咲かせ、知る人ぞ知る名所となっています。