非業の死を遂げた桓武天皇の実弟・早良親王を祀る
785年長岡京造宮使・藤原種継暗殺の嫌疑をかけられた桓武天皇の実弟・早良親王は無実を訴え絶食し命を絶つ。
没後疫病や天皇の近親者に不幸が相次ぎその霊を慰めるため崇道天皇の諡を贈り後に都の鬼門にあたる上高野の地に祀った。
境内には遣隋使・小野妹子で有名な小野一族を祀る小野神社も
崇道神社のみどころ (Point in Check)
京都市左京区上高野西明寺山町にある、早良親王(さわらしんのう)を祭神として祀る神社。
社伝によると、平安中期の貞観年間(859-77)に早良親王の霊を慰めるため創建されたと伝わっています。
早良親王は光仁天皇と高野新笠の子で、平安京遷都を行った桓武天皇の実弟にあたる人物。
当時皇太子でしたが、785年(延暦4年)9月に長岡京造宮の責任者だった藤原種継が暗殺された事件でその首謀者として捕らわれ、乙訓寺に幽閉された後、淡路島へ配流される道中に無実を主張したまま絶食死しました。
その後、桓武天皇の近親者や皇族に相次ぐ不幸が発生したほか、都に悪疫が蔓延、更には洪水などの天変地異までも起こり、人々は無実の罪で死んだ早良親王の崇りであるとの噂が広まったことで、結局、長岡京への遷都は断念され、平安京が造営されることとなります。
そして新しい都である平安京に親王の崇りが及ぶことがないよう、その霊をなぐさめるため「崇道天皇」の追号を贈り、同地に祀ったのが神社のはじまりです。
また1915年(大正4年)には、近隣にあった式内社とされる出雲高野神社・伊多太神社・小野神社の3社が合祀され、現在に至っています。
ちなみに早良親王を祀る神社は他にも「藤森神社」や「上御霊神社」などがありますが、崇道天皇のみを祭神としているのは崇道神社だけだといいます。