大枝神社とは?(基本データ)
- 名前
- 大枝神社(おおえじんじゃ)
- エリア
- 西山・乙訓
- ジャンル
- 建立・設立
- 967年(平安時代)
- 祭神
- 高美計神(たかみけ)
- ご利益
- 例祭
- 5/21直前の日曜(大礼祭)
- 神紋・社紋
- 双葉葵
- アクセス
- 駐車場
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒610-1106
京都府京都市西京区大枝沓掛町7-52 - 電話
- 075-821-0934
- FAX
- -
- 公式サイト
- 大枝学区 京都市西京区
大枝・桂坂観光マップ 京都市埋蔵文化財研究所
京都市西京区大枝沓掛町、京都の西の玄関口である京都縦貫道(京都丹波道路)「沓掛インター」の北側、旧山陰道沿いに鎮座する神社で、沓掛町の氏神。
「大枝(おおえ)」は京都市西部の西京区にある地区の一つで、松尾学区の南、大原野学区の北に位置し、古くから広大な竹林が広がり、大枝塚原地区を筆頭に日本一とも称される筍(たけのこ)の産地としてよく知られています。
水気を多く含む粘土質の土壌で育ったたけのこは甘みも多くやわらかで刺身でも食べられる最高級品で、京都の料亭でも「白子筍(しらこたけのこ)」と呼ばれて重宝されています。
その一方で1988年(昭和63年)に亀岡方面へと通じる沓掛インターが開通し、やがて宮津方面までを結ぶ「京都縦貫自動車道」として整備が進んでいくと、洛西ニュータウンや高級住宅街の桂坂地区の開発もあって急速に人口が増加・発展が進む地域となっています。
大枝神社の創建の詳しい経緯は不明ですが、平安中期の967年(康保4年)に施行の「延喜式」に神社の名前として「乙訓郡大井神社」と記載があり、これに比定するとする説もあるようです。
当初は聖徳太子の幼児の像が祀られていたことから「千児明神(ちごみょうじん)」と称していたといいますが、現在は児子神社は当社の東方にある大枝塚原町にあり、当社の祭神はこの地の先住民といわれる大枝氏(おおえうじ)の祭祀神「高美計神(たかみけ)」となっています。
大江氏は古代の氏族である土師氏を源流とし、第50代・桓武天皇の時代に自らと縁戚関係にある土師諸上(もろがみ)らに「大枝」の姓を与え、後に「大江」と改姓し、三十六歌仙に選ばれている大江千里(おおえのちさと)や大江匡衡(おおえのまさひら 952-1012)のほか、大江雅致の娘である和泉式部(いずみしきぶ 976-1030)や大江匡衡の妻・赤染衛門(あかぞめえもん)など優れた歌人や学者を多く輩出し、朝廷に重く用いられました。
また鎌倉時代に源頼朝に側近として仕えた大江広元(おおえのひろもと 1148-1225)や、戦国時代の安芸の有力大名・毛利氏もその子孫といわれています。
境内には「享保八年(1723年)」と記された石灯籠があることから、江戸時代には栄えていたことが窺われ、1873年(明治6年)には村社に公定され、現在は沓掛町の氏神として崇敬を集めています。
周辺にはこの他にも桓武天皇の生母である高野新笠(たかののにいがさ ?-790)の御陵である「光仁天皇皇后陵」や、大江関跡、弘法大師ゆかりと伝わる名水「弁天水」や、聖徳太子の幼少期の像を祀る兒子神社などの旧跡があり、また旧街道沿いには今も茅葺きの屋根が残るほか、10月下旬になると大枝特産の富有柿の直売所が軒を並べることからその名がついた「柿街道」などの見どころもあり、合わせて回るのもおすすめです。
境内西側
境内西側
本殿右奥(東側)
境内東側
遙拝所の背後に露出している石は主体部の横穴式石室の天井石
神幸祭にて子供神輿が町内を巡行する
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