京都市右京区梅ケ畑槇尾町、秋の紅葉で有名な京都市街北西部・高雄の「槇ノ尾(槇尾)」に位置し、国道162号線(周山街道)から清滝川を渡った対岸の山腹に位置する真言宗大覚寺派の寺院。
同じく高雄地域の周山街道沿いにある神護寺(高雄山)、高山寺(栂尾山)とともにの「三尾(さんび)」の名刹の一つで、「槇ノ尾(槇尾)」の地名の由来は本堂前にある樹齢約600年の槇(まき)の大木といわれています。
山号は槇尾山(まきのおさん)、本尊は釈迦如来、通称は「平等心王院(びょうどうしんのういん)」
寺伝によると、平安初期の天長年間(824-34)に空海の弟子・智泉大徳(ちせん)により、神護寺の別院として創建されたと伝わります。
その後荒廃していましたが、平安末期の建治年間(1175-78)に和泉国・槙尾山寺の我宝自性が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守などが建てられました。
鎌倉時代の1290年(正応3年)には後宇多法皇より「平等心王院」の号を賜り、神護寺より独立。
その後、永禄年間(1558-70)の兵火により焼失し、再度神護寺に合併されますが、1602年(慶長7年)に明忍律師により再興されています。
現在の本堂は江戸中期の1700年(元禄13年)に江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)の寄進により再建されたものですが、後水尾天皇の中宮・東福門院の寄進によるとする説もあるといいます。
築地塀は未指定であるものの、本堂などは京都市指定文化財となっており、その堂内には多数の仏像が安置されています。
中でも中央須弥壇の本尊・釈迦如来立像は高さ51cmの小像で、胎内に「永承2年(1047年)」の墨書銘が印されており国の重要文化財に指定。
鎌倉時代、仏師・運慶作とされる清涼寺(嵯峨釈迦堂)の国宝・釈迦如来立像を模し、高山寺の明恵が作らせたものと伝わっています。
また脇陣に安置されている千手観音立像は平安時代に彫られたもので、繊細な顔立ちが印象的でこちらも重文に指定されています。
春は桜とつつじ、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、古くより四季を通じて豊かな自然が楽しめることで知られ、とりわけ紅葉は周辺の神護寺(高雄山)、高山寺(栂尾山)とともに、高雄の紅葉として大変人気があります。
境内全体が楓に包まれますが、中でも客殿や鐘楼前の紅葉がとりわけ美しく一見の価値があるといえます。
この他にも春のミツバツツジも見事なことで知られており、裏山の斜面を埋め尽くす約300株のミツバツツジは、春の時期を迎えると山全体が紫色に輝き息を飲む美しさです。