京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町、京都市街北西の山中に位置する真言宗系の単立寺院
神護寺の高雄、西明寺の槇尾とともに「三尾」の一つに挙げられる山岳寺院です。
山号は栂尾山(とがのおさん)で、本尊は釈迦如来、弥勒菩薩。
元は真言宗御室派の別格本山でしたが、1966年(昭和41年)に仁和寺による双ヶ丘の売却に抗議して同派から離脱し真言宗系の単立寺院となりました。
奈良時代の774年(宝亀5年)、光仁天皇の勅願により「神願寺都賀尾坊」として建立と伝わっていますが、その詳細な経緯は不明。
当初は華厳宗の寺院だったといいいます。
平安初期の弘仁5年(814年)には「度賀尾十無尽院(神護寺十無尽院?)(じゅうむじんいん)」に改称。
更に天台宗の寺院となり「度賀尾寺(とがのおじ・とがのおでら)」と改称されたといわれています。
その後一時荒廃するも、平安末期には文覚によって再興され、近隣の神護寺の別院として本寺から離れた隠棲修行の場所であったといいます。
文覚が再興した寺もほどなく荒廃し、実質的な開基は鎌倉時代に入った1206年(建永元年)のこと。
文覚の弟子で高山寺中興の祖とされる華厳宗の僧・明恵(みょうえ)上人高弁が、後鳥羽上皇の帰依を得て、華厳宗復興の道場として栂尾の地を与えられ寺を再建しました。
この際に上皇から「日出先照高山之寺」の勅願を賜り、これをもとに現在の「高山寺」の寺号に改められています。
ちなみに明恵上人は、19歳のときから没するまでの約40年間、夢の記録を書き続け「夢の記」という書を残したことで知られている人物です。
「応仁の乱」(1467~77)による兵火や1547年(天文16年)の細川晴元の放火など、度々の兵火や火災により度々焼失しており、当時の建物で残っているのは明恵上人の住居跡と伝わる「石水院」のみ。こけら葺の簡素なたたずまいで、鎌倉初期の住宅建築である寝殿造の面影を残す貴重な遺構として国宝に指定されています。
現在の伽藍は戦国以降に織田・豊臣・徳川が再建に尽力した際のものが中心で、仁和寺から移築した金堂、明恵の肖像彫刻を安置する開山堂などもいずれも江戸期の建築です。
また文化・美術の中心地としてすぐれた絵仏師や学僧を多く輩出しており、中でも動物を人間に見立てて描いた伝・鳥羽僧正筆「鳥獣人物戯画4巻」は国宝に指定され、今日のマンガのルーツともいわれつとに有名。
その他にも寺宝として同じく国宝の「明恵上人像」や、絵画などの美術工芸品、また典籍類や古文書を数多く所有います。
更にこの地は臨済宗の祖・栄西(えいさい)が中国から持ち帰った茶種を、明恵上人がもらい受けて植栽した場所でもあり、境内には日本で初めて茶が作られたという伝承を持つ「日本最古の茶園」があることでも有名で、毎年11月8日には上人の廟前にて茶を献供されています。
清滝川の清流にのぞみ、杉や楓の古木に覆われ森閑とした境内は、全体が国の史跡に指定されています。
また1994年(平成6年)12月には、「古都京都の文化財」の一つとして、ユネスコの「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産にも登録されました。
そして神護寺、西明寺とともに紅葉の名所としても有名で、モミジのパノラマが展開される国宝・石水院からの眺望が見事なほか、西明寺を経て神護寺まで続く清滝川沿いの道を紅葉を眺めながら歩くのがおすすめです。
境内は普段は無料で入場できますが、紅葉の時期だけは有料。
また石水院だけは通年の有料拝観で、紅葉期は境内とは別料金がかかるので注意が必要です。