京都市右京区鳴滝本町、鳴滝にある浄土真宗大谷派(東本願寺)の寺院。
別名「大根焚寺(だいこだきでら)」と称されるように、毎年12月に行われる「大根焚き」で有名な寺院です。
六叉路になっている「福王子」の交差点のうち、南西方向にある細い坂道を下ってすぐの所、高雄方面行バス道と山越方面行バス道の中間、郵便局に向かって右横の細い道を進んで緩い坂道を下り、突き当りを右(北)に折れると、次の三つ辻の角に「鳴滝延命地蔵」の小堂が建っており、それを通り過ぎてすぐ左側にあります。
創建は不明ですが、正西法師によって建てられたといい、現在は毎年12月9・10日に行われる「大根焚き」が京都の師走の風物詩となっていることで知られています。
これは鎌倉時代の1252年(建長4年)の冬のこと、浄土真宗の開祖・親鸞(しんらん)が、師である法然の遺跡が残る愛宕山の月輪寺を訪れた際、その帰りに鳴滝のこの地を訪れ、村人たちに説法を説いたといいます。
そしてその教えに感動した村人たちは説法のお礼をしようとしますが、他に何ももてなすものがなかったため、塩味の大根を炊いてもてなしたといいます。
これに深く感謝した親鸞は、庭の枯れたススキの穂を束ねて筆代わりとし、鍋の残り煤で阿弥陀如来を意味する「帰命尽十方無礙光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」の十字名号を書いて、そのお礼として残していったといいます。
そして後に訪れた蓮如も南無阿弥陀仏の名号を加えたと伝わり、里人たちが両上人を偲んで創建したのが了徳寺だといいます。
そしてこのを名号を徳として親鸞聖人の法要会である「報恩講(ほうおんこう)」が毎年行われるようになると、そのお斎として故事にちなんで炊いた大根を皆で分け合って食べる習わしがいつしか世間に広く知られるようになり、「大根焚き寺」の通称が定着。その知名度は俳句の季題にも採り入れられていたほどでした。
1524年(大永4年)に了徳寺が創建されて以降は寺の行事となり、一説には親鸞の故事以来一度も途切れることなく行われているともいわれていて、現在は毎年12月9・10日に2日間行われています。
使われるのは大根の産地として知られる亀岡市篠町で育てられたまぼろしの青くび大根「篠大根」で、前日より準備が始まり、採れたての大根が境内いっぱいに並べられると、門徒や近所の人々の奉仕にて早朝から切り出し作業が行われ、3つの大釜にて油揚げなどを加えて炊き上げられた後、参詣者に振舞われます。
そして使われる大根は2日間で約3,000本といい、この大根を頂くと中風除け(中風にかからない)になるといわれ、普段はどちらかといえば訪れる人も少ない静かな境内が、約1万人もの参詣者で大いに賑わいます。
本堂に祀られた親鸞聖人の木像に昔ながらの塩味の大根煮がお供えされるほか、当日は法要や法話も行われ、大根焚きはお堂に上がってゆっくり頂くことができ、セットでご飯も付いた「おとき」の販売も行われています。
ちなみに「大根焚き」の行事は京都では毎年12月上旬を中心に冬の風物詩として各地の寺で行われていますが、その元祖と言うべき寺がこの了徳寺で、了徳寺の他にも千本釈迦堂(12/8)、三宝寺(12/3~4頃)、別格本山覚勝院(11/22~23・現在は休止)、比叡山延暦寺(11/20頃)、妙満寺、鈴虫寺(華厳寺)、蛸薬師堂(永福寺)、神社では上賀茂神社などが行っています。
本尊は聖徳太子自らが桂の木を彫って造ったとされる自刻の阿弥陀如来像で、応仁の乱の後に安置されたと伝わり、本堂にはこの他に阿弥陀如来像の横には仏師・湛慶(たんけい)作とされる木造の親鸞聖人坐像、「帰命尽十方無碍光如来」の名号を収納した御厨子などが安置されています。また本堂前に親鸞の銅像が建つほか、中庭(本堂前庭)にある「すすき塚」には、親鸞聖人が筆の代わりにしたというゆかりのすすきが植えられており、往時を偲ばせます。