京都市右京区御室大内、世界遺産の仁和寺の東隣にある真言宗御室派の別格本山。
山号は五智山(ごちさん)で、本尊は阿弥陀如来。
五智如来に代表される石仏群と、土用の丑の日にキュウリに疫病を封じ込めて病気平癒を祈願する「きゅうり封じ」の法要で知られる寺院です。
平安後期の1057年(天喜5年)、後冷泉天皇の勅願により、藤原康基が広沢の池のほとりにて創建した後、1467~77年(応仁元年~文明9年)の「応仁の乱」の兵火に遭い、寺地を鳴滝の音戸山の山上に移しますが長い荒廃の時代が続きました。
そして江戸初期の1641年(寛永18年)、伊勢生まれの江戸の豪商・樋口平太夫が五智不動明王に導かれ出家して常信となり伽藍堂宇が再興され、仁和寺の覚深法親王より改めて「五智山蓮華寺」の寺号が授けられました。
またこの際に木喰僧の坦称に五智不動尊像の修理と大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、宝生如来の「五智如来」の彫刻を依頼。坦称は五智如来の彫刻にあたって信州・浅間・紀州那智の三山でそれぞれ100日の荒行を遂げた後、現在の石仏を見事に完成させました。
ちなみに「五智如来」とは、五大如来とも呼び、大日如来を中心とし宇宙そのものを象徴したもので、太陽のごとく万物を慈しみ、知恵と五穀豊穣の功徳を表しているといいます。
その後1928年(昭和3年)に慈海によって御室の現在地へ移され、1958年(昭和33年)には五智如来石像をはじめ、離散・損傷していた石仏群を収集・修復して境内に祀ったといい、本堂前の五智如来石造5体に加え、11体の菩薩像が並ぶ姿は壮観で、五百羅漢で知られる深草の石峰寺とともに石仏群の双璧として知られるようになりました。
本堂には本尊・阿弥陀如来を祀るほか、不動堂に祀られている五智不動明王は「近畿三十六不動尊霊場」の第15番となっており、毎月28日には「護摩供養」が厳修されています。
行事としては夏の7月の土用の丑の日に行われる「きゅうり封じ」で有名。
宗祖・弘法大師ゆかりの秘法によってキュウリに疫病を封じ込めて病気平癒を祈願するもので、当日は多くの参拝者が境内を訪れます。
比叡山の山並みを望める墓地は本堂の隣にあり、往年の時代劇スターの片岡千恵蔵や映画監督の伊藤大輔の墓があります。