法音寺とは?(基本データ)
- 名前
- 法音寺(ほうおんじ)
- エリア
- 衣笠・御室・花園・太秦
- ジャンル
- 建立・設立
- 平安初期
- 創始者
- 伝・慈覚大師円仁(えんにん)
- 宗派
- 浄土宗西山禅林寺派
- 山号
- 菩提樹山
- 本尊
- 阿弥陀如来
- 寺紋
- 札所等
- アクセス
- 駐車場
- 拝観料
- お休み
- 拝観時間
- 住所
- 〒603-8372
京都府京都市北区衣笠街道町40 - 電話
- 075-463-3983
- FAX
- -
- 公式サイト
- 京都五山送り火 京都観光Navi
左大文字保存会の会長にインタビューしました! 京都市北区
京都市北区衣笠街道町、京都の夏の一大行事「五山送り火」の行われる左大文字山の南東、天神川(紙屋川)の西に位置する浄土宗西山禅林寺派の寺院で、五山の送り火の「左大文字」と深い係わりのあるお寺です。
山号は菩提樹山、本尊は阿弥陀如来。
平安時代に第3代天台座主・慈覚大師円仁(えんにん 794-864)の創建と伝えられ、同時期の史書にこの寺の名が見られるといいます。
その後、「西国三十三所」巡礼の再興者として知られている花山院(花山上皇 968-1008)の勅願所となり、また「西国三十三所」の復興所の本山となったと伝えられ、山門横には勅願所を示す石標が立てられています。
室町時代に「応仁の乱」の兵火にあっていったんは焼失するも、その後復興されました。
元々は天台宗寺院でしたが、現在は浄土宗西山派に属しています。
法音寺は「五山の送り火」の一つである「左大文字」の発祥地である旧大北山村の菩提寺として知られ、現在も送り火を管理しています。
大文字の送り火の起源や、その意味については諸説があり一定しませんが、江戸時代の初めより記録にあらわれ、お盆の精霊の送り火として毎年点火されてきたと考えられています。
そして左大文字の始まりについても他の四山と同様に判然としませんが、1658年(万治元年)の「洛陽名所集」には記載はなく1665年(寛文5年)の「扶桑京華志」には記載されていることから、江戸中期、他の送り火よりは遅れて開始され、その後は本寺を中心とした旧大北山村の人々によって受け継がれてきたと考えられています。
毎年8月15日と16日の午前中、金閣寺の前に設けられた志納所で護摩木の志納受付が行われ、8月16日の送り火の当日には朝に本堂にて施餓鬼会(せがきえ)が執り行われた後、灯明の火によって送り火の親火点火台に点火が行われます。
その後、衣笠街道町・法音寺門前通りの25か所で門火が焚かれて先祖の霊を導く準備がなされ、法音寺住職の読経による先祖の霊を慰める法要の後、夕方19時頃より親火から長さ3m、直径20cmもの大松明に火が移されます。
更にその火が左大文字保存会の会員50人の手松明に移されると、大松明1基と手松明(約40本)が松明行列を編成し、法音寺から約500m離れた大北山(大文字山)の山上へと運ばれ、20時15分に「送り火」が点火されます。
この「松明行列」は他の送り火にはないことから、左大文字の送り火を特徴づける行事の一つといえます。
その後、送り火がほぼ消える21時20分頃から、法音寺本堂で「大文字御詠歌」奉納と名づけられた行事が行われます。
左大文字保存会の手によって大文字の残り火が法音寺へ持ち帰られると、その残り火を本尊に供え、「北山金閣寺不動明王」「愛宕権現地蔵菩薩」「鞍馬山魔王」「千本えんま堂えんま大王」の四仏に、先祖の霊を無事に送り出せるようにと祈り、「北山尼講」と呼ばれる法音寺の檀家女性たちが炎が消えるまで御詠歌を唱えます。
護摩木の受付
金閣寺門前にて受付
左大文字
表示する記事はありません