広沢池とは?(基本データ)
- 名前
- 広沢池(ひろさわのいけ)
- エリア
- 嵐山・嵯峨野
- ジャンル
- 建立・設立
- 989年(永祚元年)に遍照寺(へんじょうじ)の庭池として開削・造営
- 創始者
- 寛朝(かんちょう)(第59代・宇多天皇の孫)
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- なし
- お休み
- 特になし
- 拝観時間
- 見学自由
- 住所
- 〒616-8301
京都府京都市右京区嵯峨広沢町 - 電話
- 075-222-4130(京都市役所産業観光局 観光部観光企画課)
- FAX
- -
- 公式サイト
- 広沢池公園 京都市情報館
京都市右京区嵯峨広沢町、京都市西部の大覚寺・大沢池の東にある東西・南北各300m、周囲約1.3kmの人工池。
大分県宇佐の初沢池、奈良県の猿沢池とともに「日本三沢」の一つに数えられ、現在も灌漑用の溜池として利用されている。
平安中期の989年(永祚元年)、第59代・宇多天皇の孫で「ひろさわの僧正」と呼ばれた真言宗の僧・寛朝(かんちょう 916- 98)が朝原山の麓の山荘を寺に改めて「遍照寺(へんじょうじ)」を建立したのに合わせ、庭池として本堂の南に開削・造営されたと伝わり、別名「遍照寺池(へんしょうじのいけ)」とも呼ばれていました。
また異説として、奈良時代に嵯峨野一帯を開拓した渡来系豪族の秦(はた)氏一族が溜池として造ったともいわれています。
かつては遍照寺の広大な境内の一部だったといいますが、寛朝の没後にその寺勢が衰微するのと共に廃れていき、鎌倉時代に第91代・後宇多天皇により復興されるも、室町時代の「応仁・文明の乱」(1467-77)により再び荒廃します。
その後、明治時代に地元の人々の協力で修復が進められ、戦後の1955年(昭和30年)には嵯峨用水によって清滝川の水がトンネルにより広沢池にも流入するようになり、周辺の灌漑用の水不足が解消。南側の農地では現在も京野菜や水稲などが耕作されているといいます。
古くからの景勝地で、背後に聳える朝原山(遍照寺山)はその端麗な姿から「嵯峨富士」と呼ばれ、その姿が池に映し出される姿は美しく、また池の畔には多宝塔や釣殿などが建てられ、池には「観音島」と呼ばれる人工の島が造られて橋で繋がれ、金色の十一面観世音菩薩を祀り、風光明媚な場所として知られていました。
そして大覚寺の大沢池と並んで平安期を中心に古くから観月の名所として知られ、貴族や歌人が訪れ、歌枕(うたまくら)として多くの歌に詠まれています。
藤原良経の「秋篠月清集」に「広沢の池におほくの年ふりてなほ月のこる暁の空」
為家「広沢の 池の堤の柳かげ 緑も深く 春雨ぞふる」
西行法師「やどしもつ 月の光の大沢は いかにいつとも 広沢の池」
源従三位頼政「古の 人は汀に 影絶えて 月のみ澄める 広沢の池」
薩摩守平忠度「あれにける 宿とて月は かわらねど 昔の影は なほぞこひしき」
松尾芭蕉「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」
歌枕「更級も明石もここにさそひきて月の光は―」(拾玉集2)
「秋の月の影やいづくととひゆけばこたへて澄める―」(拾玉集2)
現在も池畔からは小倉山や愛宕山など嵯峨野の山々を見渡すことができるのどかな田園風景が広がり、自然が豊富で、湖畔にはサクラ、カエデ、ヤナギが植樹され、マガモ、ケリ等の鳥類やトンボも多くみられ地元の小学校の「自然観察教室」や「写生教室」などにも利用されています。
「日本三沢」の一つにも数えられ、池の一帯は1969年に古都保存法の「歴史的風土特別保存地区」に指定され景観保護が図られているほか、2010年(平成22年)3月25日には農林水産省の「ため池百選」にも選定されています。
また池の西側より池へ突き出るような形の小さな島は「観音島」で、寺の衰退によって失われていたものを、明治時代に再造設したもので、橋が架けられた先の島の内部には石像の千手観音像が祀られていますが、これは仁和寺の隣にある五智山蓮華寺に以前祀られていた「千手観音石像」をこの地に移して同じように池を望む形で安置したものです。
ちなみに以前観音島に祀られていた金色の十一面観音立像は、現在は池からは姿を消したものの、広沢池から南へ500mほどのところに移された遍照寺に祀られています。
この他にも春夏秋冬それぞれに見どころを有しており、まず春は桜の名所で、池の南堤沿いの道路が桜並木となり、桜越しに池とその背後にある遍照寺山の美しい景色を望むことができます。
次に夏は毎年8月16日の有名な「五山の送り火」では鳥居形の観賞スポットとなると同時に「広沢池灯篭流し」が開催され、赤青黄緑白の仏の5つの智恵を表すという5色の灯篭が広沢池に浮かぶ幻想的な光景を体験することができます。
また秋は紅葉の名所でもあり、周辺の山が美しい紅葉のグラデーションで彩られるほか、池の対岸伝いや弁天堂周辺の木が真っ赤に染まり、美しいコントラストを楽しむことができます。
更に冬は毎年12月上旬に京都の冬の風物詩の一つ「鯉揚げ(こいあげ)」、更に2月には池畔に沿った道路が「京都マラソン」のコースとなることでも知られています。
府道29号沿いの兒神社向かいにある多機能トイレ
池の南西、府道29号沿い
8月16日の「五山お送り火」当日に「広沢池灯籠流し」の灯籠受付、ご詠歌の詠唱が行われる
児神社内にある石標
天皇が御所からから常盤、広沢池の東南を経て嵯峨離宮(現在の大覚寺)へと行幸された道
音戸山頂上には君が代にも出てくるさざれ石とされる岩もあるという
古来より和歌に多く詠まれており、この石標には江戸の歌人村田春海(1746~1811)の歌が刻まれている
広沢池の北西一帯
市指定史跡だが、現在は私有地のため立ち入りできない
広沢池西側の観音島に架かる石橋、手前左手に駒札
広沢池西側
池の南側、府道29号沿いにある料亭
池の南東、府道29号沿い
府道29号、池の茶屋向かいにある広沢池の東岸への入口
五山の送り火「鳥居形」観賞スポット
広沢池東岸にある宗教団体施設
桜の見頃の時期や名月の頃に市民に特別開放される
15000人を超えるランナーが参加し、早春の都大路を駆け抜ける大規模な市民参加型のマラソン大会
2012年(平成24年)3月11日に第1回大会が開催されて以降、毎年開催されて人気を集めている
西京極総合運動公園をスタートとし、嵐山、きぬかけの路、北山通、京都植物園、鴨川河川敷、京都御所、京都市役所などを経て、平安神宮の大鳥居がゴール
種目は42.195kmのフルマラソンと同距離を2人で走るペア駅伝
広沢池もコースに含まれており、8km過ぎに通過する
[公式]
京都の夏の風物詩として有名なお盆の精霊送り行事「五山の送り火」の関連行事
先祖や水子を供養するために戦後から始められたものだという
19:00より回向(塔婆施餓鬼供養)の後、広沢池に約2000個といわれる五色の灯籠が流され、周囲は幽玄かつ幻想的な雰囲気に包まれる
鳥居形の送り火の点火後は、送り火と赤・青・黄・緑・白の五色の灯籠の美しいコントラストを堪能することもできる
広沢池西畔の児神社では供養が終わるまで御詠歌が奉納され続ける
灯籠は宗派を問わず誰でも申し込める
受付は8/15までは遍照寺、8/16当日は児神社にて受付
7/31までは1霊800円、8月以降申込で1000円
現在の広沢池は灌漑用水であるだけでなく鯉の養殖も行われており、毎年冬になると池の水を抜いて水位を下げ、底に溜まった泥をさらうとともに、春に放流した鯉(コイ)や鮒(ふな)の稚魚などの収獲作業が行われる
獲れた魚は廣澤の池 大本山大覚寺の石標付近で販売される
2016年08月16日