護法堂弁財天(曼荼羅山)とは?(基本データ)
- 名前
- 護法堂弁財天(曼荼羅山)(ごほうどうべんざいてん(まんだらやま))
- エリア
- 嵐山・嵯峨野
- ジャンル
- 建立・設立
- 不詳
- 祭神
- 弁財天
- ご利益
- 例祭
- 神紋・社紋
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒616-8431
京都府京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町2-1 - 電話
- -
- FAX
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- 公式サイト
- 五山の送り火 船形 京都観光Navi
「曼荼羅山(まんだらやま)」は右京区嵯峨鳥居本一華表町、嵐山や広沢池にもほど近い京都市西部の北嵯峨にある山で、別名「水尾山」とも。
標高約100mほどの山で、毎年8月16日夜の京都の夏の風物詩「五山の送り火」の際に、送り火の一つである「鳥居形」が灯されることで知られていて、山の名もこの盂蘭盆会、精霊送りの万灯籠にちなんだものといわれています。
その起源については諸説あり、弘法大師空海が石仏千体を刻み、その開眼供養を営んだ時に点火されたとも、鳥居の形から麓の集落の鳥居本に一の鳥居がある愛宕神社との関係も考えられています。
送り火で点火される際に使用される火床はこの曼荼羅山の南東面に108基設置されていて、その大きさは鳥居の笠貫が約70m、左右の脚が約80mあるといい、以前は青竹に突き刺していましたが、現在は鉄製の受皿が各火床に設置されています。
そして点火方法については他の四山とは異なり、火床には点火準備のために薪をあらかじめ井桁の形に組むことはせず、親火の所で薪を合わせた松明に火を移してから松明を持って走り、各火床(燭台)に突き立てることから「火が走る」送り火ともいわれています。
このうち鳥居の柱に当たる火床は「縦の走り」と呼ばれベテランの担当する部署であり、一方笠木と貫の部分は「横の走り」といって若いメンバーが担当します。
この他に特筆すべき点としては、松明の素材には松の中でも特に松脂(まつやに)を多く含んだ「ジン」と呼ばれる部分を使用しており、そのため火の色が他山とは少し違ってオレンジに近い色となっていて、鮮やかな文字が浮かび上がります。
松明を燃やして点火することから保存会の名は「鳥居形松明保存会」と呼ばれていて、8月13日から16日までの期間で化野念仏寺の駐車場にて護摩木の受け付けを行い、以前は特に宗教的行事は伴わなかったそうですが、現在は他の送り火と同様に奉納された護摩木を化野念仏寺にて供養した後、曼荼羅山の山上へと運び、8月16日、送り火の中で最後となる20時20分に点火を行います。
京都市内の西方に位置するため、市内で見える場所は他の山に比べると限定されていますが、よく見える場所として知られているのは松尾橋や灯籠流しの行われる広沢池、そして嵐山渡月橋や大覚寺前の交差点などです。
一方「護法堂弁財天」は京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町、曼荼羅山の南東麓に位置する小社で、御堂には弁財天が祀られていることから地元では「嵯峨の弁天さん」と呼ばれ親しまれています。
創建の詳しい経緯などは不明ですが、曼荼羅山は別名を「仙翁寺山(せんのうじやま)」といい、その名前の由来はその昔山頂に「仙翁寺(せんのうじ)」という名前の寺院の伽藍があって人々の信仰を集めていたからといわれていて、この仙翁寺とはその鎮守社であったなど何かしらの関係があったと考えられているといいます。
この仙翁寺は鎌倉時代にはすでに廃絶しているが、山麓の西側には現在も地名として鳥居本仙翁町(せんのうちょう)の名前が残っているほか、その名はナデシコ科センノウ属の多年草である「センノウケ(仙翁花)」と呼ばれる花の和名および属名にも受け継がれています。
元々は中国原産で、古く中国から1300年頃に渡来し日本でも観賞用として栽培されている花ですが、文献には1330年頃に初めて登場し、所説あるものの仙翁寺に伝わり植えられたことからそのような和名がつけられたといわれています。
また竹林に囲まれ、神仏習合の名残りが色濃く残る境内に、絶えることなく湧き出る清泉は現在も「仙翁水」と呼ばれていて、その名残りを留めています。
入口から石段を上がり鳥居をくぐった先には大師像とその横に小さな堂のみがひっそりと佇んでいて、ひなびた山あいの小さなお社と言うにふさわしい空間が広がっています。
普段は地元の人々以外は訪れる人もまばらですが、秋には御堂を中心とした空間が濃い赤やオレンジ、黄色などの色鮮やかな紅葉に包まれ、息を飲むような美しい景色が広がる、知る人ぞ知る紅葉の穴場です。
扁額に「天女」の銘
弁財天を祀る
鳥居形
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