京都市左京区聖護院山王町、東大路丸太町の交差点の北西角に鎮座し、祭神として夫婦神である伊弉冉命・伊弉諾命およびその御子神・天照大神を祀る神社。
京都の熊野信仰の拠点であり、また名菓八ツ橋の発祥地であるほか、京都十六社朱印めぐりの札所としても知られています。
平安初期の811年(弘仁2年)、修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の10世・日圓(日円)が、国家護持のためこの地に紀州熊野三山の祭神「熊野権現(熊野大神)」を勧請したのがはじまり。
この点「熊野神社」は熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の祭神を勧請し創建された神社のことで、「熊野詣」の盛行や有力者による荘園の寄進、熊野先達の活動により全国に熊野信仰が広まるとともに、同名の神社は全国で創建されました。
当社は京都においては新熊野神社・熊野若王子神社と共に「京都熊野三山」の一つに数えられ、このうちの最古社にあたる神社です。
1090年(寛治4年)には白河上皇の勅願により創建された聖護院の鎮守社となり、別当職を置いて管理するとともに修験道の守護神として崇敬を集めました。
更に平安後期には後白河法皇が熊野権現を篤く信仰し、度々熊野詣を行っていますが、当社にも厚く尊信を寄せたといいます。
その後「応仁の乱」の兵火により社殿は焼失しますが、江戸初期の1666年(寛文6年)に聖護院宮道寛法親王が令旨を下し再建されており、その境域は鴨川に至る広大なものであったといわれています。
また江戸後期の1835年(天保6年)にも大修造が行われており、現在の本殿はこの時に下鴨神社(賀茂御祖神社)から移築されたもので、代表的な流れ造りの建造物です。
祭神の伊弉諾尊・伊弉冉尊は国生みを行ったことで知られていますが、日本最初の夫婦神でもあることから、縁結び・安産のご利益で知られています。
また病気平癒の祈願も多いほか、鎮火の神として古くから節分の日に「火の用心のお札」を受ける風習があり、節分当日は多くの参拝者で賑わいます。
その他に行事としては4月29日神幸祭、5月16日例祭、11月20日火焚祭などが知られています。
またかつての社域は広大で、「聖護院の森」と呼ばれる鬱蒼とした森が広がり、京都発祥の銘菓である八ツ橋(やつはし)は、この地で生まれたことでも知られています。
そして明治から昭和初期にかけては、創業300年を超える老舗「本家西尾八ッ橋」の12代目・西尾為治が、八ッ橋を世界の博覧会に出品、1889年(明治22年)のパリ万博では銀賞を受賞し、世界にその名を知らしめました。
このような経緯から境内には平安遷都1200年を記念し「八ツ橋発祥の地」という石碑が西尾為治の銅像とともに設置されています。
最後に神使であり神紋になっている「八咫烏(やたがらす)」は、神武天皇を熊野から大和の樫原まで先導した故事にちなみ導きの神として信仰されていますが、サッカー日本代表のシンボルマークにもなっていることから、からす守り・なぎ守りの他にこれをモチーフにした「サッカー守り」や絵馬などが揃っており、近年は多くのサッカーファンが日本代表の勝利を祈願し訪れることでも知られています。