京都を代表する繁華街「祇園」は、鴨川に架かる四条大橋の東側、東大路通に面した八坂神社の西楼門までの四条通を中心とした南北一帯を指します。
ちなみに「祇園」という地名は八坂神社の旧称である祇園社(祇園感神院)に由来しています。
このうち南側は元々は建仁寺の境内でしたが現在は縮小され、現在は建仁寺の境内の北側に祇園甲部の歌舞練場があるほか、花見小路通を中心としたエリアに数多くのお茶屋が軒を連ね、祇園甲部の花街が形成されています。(祇園甲部のお茶屋は元々は四条通沿いにあったが、市電開通に伴い南側に移転した)
一方北側のエリアは現在は祇園花街のお茶屋のみならず現代風のスナックやバーなどが混在するエリアですが、平安神宮の方から鴨川に向けて流れている白川と縄手通の交差する東側、白川の北側に沿って伸びる白川南通や、一筋北の新橋通沿いには石畳と町屋の歴史的な街並みが多く残されており「祇園新橋重要伝統的建造物群保存地区」として景観の保全が図られています。
中でも白川南通と新橋通の交差する位置にある白川に架かる巽橋、およびその畔に立つ辰巳大明神の周辺は、舞妓さんが行き交う華やかな雰囲気と京都らしい風情が味わえるスポットして観光客にもとりわけ人気の高いエリアで、「祇園白川(ぎおんしらかわ)」とも呼ばれています。
八坂神社の門前町として形成
祇園の中心的存在である祇園社(祇園感神院)(現在の八坂神社)は、社伝によるとその創建は飛鳥時代の656年(斉明天皇2年)ですが、本格的な発展を遂げたのは平安中期以降のこと。
西側に門前町として形成され、鎌倉時代から参拝人目当ての茶屋が数多くでき、さながら市街地のごとく賑わっていましたが、室町時代に入ると1467年(応仁元年)に勃発した「応仁の乱」で門前町の原形はことごとく焼失してしまいます。
江戸時代に芝居小屋およびその芸能と結びつき隆盛
祇園が再生されたのは江戸時代に入ってからで、元和年間(1615-24)に京都所司代・板倉勝重によって、四条河原に七つの芝居小屋を作るのが許可され、歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居小屋が立ち並び大いに賑わいました。
(ちなみに今も残っている「南座」はその内の一つで「南の芝居」と称していたが、明治中期に南座と改名)
寛永年間(1624-44)には四条河原に軒を連ねた芝居小屋が次第に常設化し、それとともに茶屋や旅籠も増加。
更に1670年(寛文10年)に鴨川改修工事によって両岸に堤防が築かれると、鴨川東岸の大和大路沿いに祇園社の参拝客や芝居客相手の茶屋町が作られるようになります。
1732年(享保17年)、幕府より正式な茶屋営業の許可が下りると、大和大路東側の白川沿いの元吉町、橋本町、林下町、末吉町、清本町、富永町は「祇園内六町」と呼ばれ茶屋町として発展。
現在の祇園新橋は、このうちの元吉町にあたります。
その後も芝居小屋およびその芸能と深く結びつき、一大文化を築いて発展。
江戸末期から明治初期にかけて最盛期を迎え、江戸末期には500軒もの茶屋が祇園にひしめいていたといいます。
戦後の乱開発と「新橋地区」の景観保全
戦後祇園一帯は歓楽街として乱開発が進み、数多くの茶屋がビルに取って代わられましたが、「祇園新橋」の人々はかつての茶屋の町並みを守り続け、洗練された質の高い茶屋様式の町家が今も整然と立ち並び、昔ながらの風情をたたえています。
その華やかながらも品の良いたたずまいの町並みは、江戸末期から明治時代において隆盛を極めた、茶屋町としての祇園の姿を今に留めるものとして極めて貴重な存在であり、1976年(昭和51年)、新橋通を中心とした東西約160m、南北約100mの範囲が「祇園新橋伝統的建造物群保存地区」として初めて景観保全地区にも指定されました。
選定範囲は、新橋通りとその南を流れる白川沿い、東西約160m、南北約100mの範囲で面積は1.4haとそれほど大きくはありませんが、伝統的建造物の比率は7割と非常に高いレベルを保っています。
祇園では幕末の(1865年)に大火が起きており、現在見られる祇園新橋の町並みはその直後の江戸末期から明治時代にかけて再建されたものです。
新橋通(北側)
北側の新橋通に面した区画は、紅殻格子が美しい京町家が通りの両側に整然と軒を連ねる伝統的なたたずまいが見られます。
茶屋様式の建築様式、および軒の高さがほぼ同じで、洗練された統一感のある美しい町並みが残されています。
白川南通(南側)
一方、南側の白川に面した区画は、元々は白川の両岸に茶屋が建ち並んでいましたが、第二次世界大戦中に延焼を防ぐため建物を壊し空き地を設ける建物疎開が行われ、北側にあったお茶屋が取り壊されて姿を消し、川沿いに白川南通が設けられました。
そして現在は南側に簾のかかった川端座敷が続き、白川を挟んで石畳の道と河畔には柳と桜並木が絶妙な調和をみせ、風情のある美しい街並みが形成されています。
一年中観光客の姿の絶えることはありませんが、特に春には桜の名所として高い人気を集めるエリアです。