「ねねの道」を挟んで高台寺の向かいにある高台寺の塔頭寺院の一つです。
豊臣秀吉の没後、妻の北政所(ねね)は「高台院」の号を勅賜され、それをきっかけに高台寺の建立を発願。
そして1605年(慶長10年)、58歳の時に秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築し移り住んだのがはじまりとされていて、以来、大名や禅僧をはじめ、茶人や歌人、画家、陶芸家など多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝わっています。
その後、1624年(寛永元年)に77歳で没するまでの晩年の19年間をこの地で過ごした後、9年後の1632年(寛永9年)に備中国足守藩主で北政所の甥にあたる木下利房(きのしたとしふさ 1573-1637)が、高台寺の三江和尚を招いて北政所の住居を寺に改め、木下家の菩提寺として創建。その際に、木下利房が1627年(寛永4年)より号していた法号「圓徳院」がそのまま寺号として名づけられ、現在は高台寺の塔頭寺院となっています。
境内はねねの道を挟んで高台寺の向かいにある正面入口の長屋門から唐門、庫裏、方丈と南庭、そして渡り廊下を経て、北庭のある北書院の順路で見学することができ、このうち「北庭」は伏見城の化粧御殿の前庭を移築したしたもので、賢庭作で後に小堀遠州が手を加えたという桃山時代を代表する庭園です。
当時の原型をそのままに留めており、国の名勝に指定されているほか、北書院から眺める景色は見事で、秋は紅葉が美しいことで知られています。
ちなみに化粧御殿は幕末に焼失してしまいましたが、その跡地には1887年(明治20年)に書院が建てられ、2003年(平成15年)に屋根瓦のふき替えや土台の補強などの修復が行われています。
また北書院の脇には茶室もあり、季節によっては茶席を楽しむこともできることで知られています。
この他にも北庭の拝観を終えて出口を出るとすぐ横にある「三面大黒天」は真ん中が大黒天、右が弁財天、左が毘沙門天の3つの顔を持つ珍しい三天合体の尊像で、1度のお参りで、3つのご利益があるのを気に入った秀吉が信仰し、出世の守り本尊としていたといい、毎月3日は秀吉の出世守り本尊「三面大黒天」の縁日となっています。
そしてこの三面大黒天の目の前は広場になっていて、2008年(平成20年)にオープンした休憩もできる商業施設「京・洛市 ねね」があるほか、秀吉や北政所ゆかりの品を展示する「掌美術館」もあり、合わせて見学することができるようになっています。
ちなみに圓徳院は境内の東側を「ねねの道」、西と南側を「石塀小路」と、2つの情緒たっぷりな石畳の道に挟まれており、更に境内には「ねねの小経」と呼ばれる細い道と「あられこぼし」と呼ばれる風情たっぷりの路地もあって、これらの道を回遊しながらショッピングや散策が楽しめるようになっています。
また秋は紅葉が美しいことで有名ですが、ツワブキの名所としても知られているほか、春と秋には夜間ライトアップを楽しめる特別拝観も行われています。