京都市上京区の学問の神様として知られる菅原道真を祀る北野天満宮の東側に位置する京都最古の花街「上七軒」にある歌舞練場。
今出川通と七本松通の交差する「上七軒」の交差点から、地図上は斜め左上、北西の「北野天満宮」の「東門」前まで続く「上七軒通」全体が花街になっています。
室町中期の1444年(文安元年)に北野天満宮の社殿が一部焼失した際、その修築時に残った資材を使って東門前に七軒の茶店を建て、天満宮を参拝する人の休憩所としたのがはじまりとされており、現存する京都の花街の中では最古の歴史を有しています。
その後1587年(天正十五年)8月10日に豊臣秀吉により「北野大茶会」が開かれますが、その際に七軒茶屋が秀吉の休憩所に充てて名物の御手洗団子(みたらしだんご)を献上し大いに秀吉を喜ばせ、褒美として七軒茶屋にて御手洗団子を商う特権と山城一円の法会茶屋株(営業権)が公許されました。
これがお茶屋街のはじまりであり、またこの由緒を象った「五つ団子」は現在の上七軒の紋章にもなっています。
その後は近くにある西陣織で知られる西陣の奥座敷として、その発展と衰退の歴史とともにお茶屋の数も増減を繰り返し、最盛期には約60軒のお茶屋が存在していたといいますが、現在は10軒ほどの数になっています。
ちなみに舞妓・芸妓たちが行き交う上七軒を含めた周辺一帯は京町家の風情ある町並みが多く残されており、そのため2001年(平成13年)には「上京北野界わい景観整備地区」に指定され、景観の整備が図られている地域になります。
そもそも「舞妓(まいこ)・芸妓(げいこ)とは、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添えることを生業とする女性の事をいいます。
舞妓とは芸妓になる前の15~20歳くらいまでの見習い期間をいい、通常は舞妓として約5年間修行した後に芸妓になります。
ちなみに舞妓になるまでにも準備期間があり、これを「仕込み(しこみ)」といいます。
花街のしきたりや京ことばなどを約1年学んだ後に「店出し・見世出し(みせだし)」をして晴れて舞妓となります。
彼女たちはそれぞれが「置屋(おきや)」と呼ばれる家に所属し、そこから「お茶屋(おちゃや)」や「料亭(りょうてい)」へ送り出され、宴席で芸を披露します。
お茶屋と料亭の違いは料理を直接提供するか否かで、お茶屋は直接提供はせず、「仕出し屋(しだしや)」から取り寄せることになります。
そしてこれらのお茶屋や置屋などが集まって形成されているのが「花街(かがい)」です。
歌舞練場(かぶれんじょう)とは、京都の花街(かがい)にある劇場のことで、芸妓・舞妓たちが歌や舞踊、楽器などの稽古をする練習場であると同時に、その発表のための場所でもあります。
現在京都には祇園甲部(ぎおんこうぶ)・先斗町(ぽんとちょう)・宮川町(みやがわちょう)・上七軒(かみしちけん)・祇園東(ぎおんひがし)のいわゆる「五花街」が現存しており、それぞれが専用の歌舞練場を持っています。
そして各花街は春と秋にそれぞれの歌舞練場を舞台に舞踊公演を行っており(祇園東のみ秋だけの公演)、芸妓・舞妓たちにとってはお茶屋や料亭・旅館などでのお座敷接待以外の主要な活動の一つとなっています。
またその他にも五花街の合同公演として6月下旬に行われる「都の賑い」も主要な舞踊公演の一つです。
ちなみにこれらの舞踊公演以外にも古くより花街に伝わる伝統行事がいくつかあり、五花街に共通したものとしては、正装の黒紋付に縁起物の稲穂のかんざしをつけて新年の挨拶を行う1月7日の「始業式(しぎょうしき)」(上七軒のみ1月9日)や、日頃お世話になっている師匠やお茶屋に感謝の気持ちを伝える8月1日の「八朔(はっさく)」、12月初旬の南座の歌舞伎の顔見世興行に芸舞妓が揃って観劇する「顔見世総見(かおみせそうけん)」、そして一年のお礼と新年に向けた挨拶をする12月13日の「事始め(ことはじめ)」は有名です。
その他にも時代祭などの京都を代表する行事のみならず、各花街独自に参加する伝統行事も多数あり、上七軒独自のものとしては北野天満宮の「節分祭」における舞踊奉納と豆まきや、2月25日の「梅花祭」における野点茶会と12月1日の「献茶祭」における副席でのお点前披露などがよく知られています。
また近年はメディアへの露出や京都市などが開催する各種イベントなどに参加する機会も増えるなど、京都の観光のシンボルとして重要な役割を果たしています。
「上七軒歌舞練場」は「上七軒」の芸舞妓たちが拠点とし、春に「北野をどり」、秋に「寿会」と呼ばれる舞踊公演を行う会場となっています。
1897年(明治30年)頃に建設され、その後何度かの増改築を経て1951年(昭和26年)に現在の姿となりました。
その後、現役で使用されている木造の劇場としては数少ない貴重な建物であることから、2009年(平成21年)11月には京都市の「歴史的風致形成建造物」に指定され、翌年にかけて大規模な改修が行われています。
「北野をどり」は1952年(昭和27年)の北野天満宮における千五十年大萬燈祭に奉賛して初演されて好評を博し、以後は年中行事となり、京の春を伝える風物詩として親しまれています。
第1部として演劇的な要素を多く取り入れストーリー性に富んだ「舞踊劇」、第2部として「純舞踊」、その後フィナーレには「上七軒夜曲」が演じられますが、「上七軒夜曲」では黒裾引摺姿に揃えた芸妓と、色とりどりの鮮やかな衣裳の舞妓が総出演し、定番の演目として毎回好評を博しています。
また歌舞練場では舞踊公演以外にも、毎年夏の7月上旬から9月初旬にかけ場内の日本庭園で「ビアガーデン」を開催しており、芸舞妓の浴衣姿を間近で拝見できるとして好評を集めています。