上京区一条通御前西入る、北野白梅町から西大路通をやや南へ進み、一条通との交差点を東へやや進んだ先に鎮座し、「方除け・厄除け」の神として信仰を集める神社。主祭神は大将軍神(素戔鳴尊)。
794年(延暦13年)の平安京造営の際、桓武天皇の勅願により、方位を司る方除の「星神天大将軍」を平安京の方位守護の神として陰陽道において天門にあたる大内裏(御所)の北西角の地に勧請し創建されました。
この点、大将軍は日本古来の神ではなく中国の風水思想から生まれた陰陽道における方位神で、奈良時代頃日本に入り、平安中期から鎌倉初期にかけて最も盛んに信仰を集めたといい、建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神として、長きにわたり民間の崇敬を集めてきた神様です。
そして同社は創建当初は「大将軍堂」と呼ばれ、方位の厄災を解除し都の乾(戌亥・北西)の方角を守護する「王城鎮護」の神として篤い崇敬を受けたほか、建築・移動・転宅・婚姻・旅行・交通等あらゆる人間生活に於いて「方位の厄災から守護する神」として厚く信仰されてきました。
その後「応仁の乱」の後に神社として復興し、江戸時代に入ると大将軍村の鎮守社「大将軍社」として祀られるようになり、さらに江戸中期には陰陽道の暦神八神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)とその御子八神が習合して「大将軍八神宮」に。
更に明治初期の「神仏分離令」によって神道を国教とされると、陰陽道など外来の神を祭神として祀ることが禁止されため、現在の「素盞鳴尊、その御子五男三女神、並びに 桓武天皇を合祀」となり、更に社名も「大将軍八神社」と改められて現在に至っています。
ちなみに大将軍信仰は、最も盛んだった江戸時代には全国的に広まっており、一村一社といわれるほどに「大将軍社」があったといいますが、「神仏分離令」を機に多くの大将軍神社が姿を消し、現在は大将軍を祀る神社は多くはありませんが、当社はその中で最も大きな神社だといいます。
敷地面積は約450坪で、社殿は昭和初期の1929年(昭和4年)11月に 現在の八棟権現造の現社殿に造替されたもの。
この他に収蔵庫「方徳殿」には、重文指定の大将軍神像80体および府文指定の陰陽道の安倍家に関わる古天文暦道関係の資料などが展示されていることでも有名で、毎年5月と11月(5月1日~5日、11月1日~5日)に特別公開されています。(その他の日は要問合せ)
行事としては毎年2月に開催される「節分星祭」および10月に開催される「大将軍祭」が有名なほか、「妖怪ストリート」として有名な一条通・大将軍商店街は門前から一条通の東側に位置しており、門前前の雰囲気を形成していることでも有名です。