京都市下京区七条通大宮西入花畑町、龍谷大平安高校のある七条大宮交差点の西にある、江戸中期の1716年(享保元年)、あの「暴れん坊将軍」として知られる徳川吉宗が8代目の将軍に就任したその年に創業し、300余年の歴史を有するという老舗の和菓子店。
伊勢の城下町・田丸町で御菓子司をしていた初代・笹屋伊兵衛が、その腕前を高く評価されて御所の御用を仰せつかり、京へと呼び寄せられ「笹屋」の暖簾を掲げたのがはじまり。
以来、有職菓子司として京都御所や伏見稲荷・吉田神社・醍醐寺・泉涌寺などの神社仏閣、茶道家元などの御用達のみを務めて菓子司としての確固たる地位を固めたといいます。
そして明治に入り、戸籍を作る際に6代目当主は初代の出身地にちなんで田丸姓を名乗り、また同時期に御所から百官名の一つである「伊織」の名を授かり、現在の屋号となりました。
ちなみに現在京都には「笹屋」という屋号を持つ和菓子屋が数多く存在していますが、その全てが「笹屋伊織」が総本家だといいます。
そして代表銘菓として名高い「東寺のどら焼」は、百数十年前に5代目当主が、当時親交のあった東寺の僧侶の副食として考案したもの。
寺でも作れるようにと東寺にあった銅鑼を鉄板の代用とし、熱した銅鑼の上で皮を焼き、その皮で棒状に練ったこし餡をくるくると何重にも巻いて細長い棹物の形に作り、これを輪切りにして食べるという、よくあるお寺の銅鑼に似ていることからそう呼ばれるようになったという一般的などら焼とはまったく違った形をしたこの和菓子は、元々は商品として開発されたものではありませんでしたが、大変な評判に。
この点、手間暇をかけた「どら焼」は江戸末期から一子相伝で受け継がれ簡単に作れるものではありませんでしたが、弘法大師の命日にあたる毎月21日の「弘法さん(弘法市)」のみに限定して販売することを思い付き、東寺参拝の土産物としてすっかり定着するとともに、現在はこの21日を挟んだ前後3日間に限って販売されています。
また10代目当主夫人である田丸みゆき氏は2008年より開催した「女将のおもてなし講座」と題したセミナーが話題となり、企業や学校などからも講演の依頼が来るなど、その活動は注目を集め、合わせて伝統的な和菓子文化を次世代に伝えるための新たな取り組みにも力を入れるようになったといいます。
新商品の開発やインターネット販売などの新しい販路の開拓にも力を入れており、また和菓子を身近に感じられるようにと2004年(平成16年)には京菓子店の直営として先駆けとなるカフェを大丸京都店にオープンしたほか、本店と吉祥院天満宮そばの南店にも宇治抹茶パフェなどが楽しめるイオリカフェを併設しています。
更に2013年(平成25年)からは和菓子と洋菓子を融合させた二つの新ブランドを立ち上げたほか、2020年(令和2年)にはJR梅小路京都西駅前のホテルエミオン1Fにて、今までの「イオリカフェ」をよりラグジュアリーに楽しめるという「イオリカフェプレミアム」を併設する「笹屋伊織 別邸」をオープンしています。