京都府京丹後市峰山町、丹後半島の付け根に鎮座する神社で、地元では親しみを込めて「丹後のこんぴらさん」と呼ばれています。
江戸後期の1811年(文化8年)、峰山藩7代目藩主・京極高備(たかまさ)の命により創建されたのがはじまり。
旧峰山藩主・京極家は代々にわたって四国・讃岐国の金毘羅権現(こんぴらさん)を篤く信仰しており、峰山の地にも金毘羅社を勧請することを念願していました。
そして7代藩主・高備の代になると、同族のよしみを通じて丸亀・多度津の両京極家にあっせんを依頼し、金毘羅宮と交渉を続けた結果、永年に渡る悲願が叶い、一国一社の先例を廃して分霊を勧請することができ、現在の峰山町泉の地に社殿を建立して奉祀されたといいます。
以来、丹後一円から信仰を集め、丹後ちりめんの集積地として栄えた商いの町・峰山を象徴する神社として約2万平方メートルにもおよぶ広大な神域と社殿群を有するようになりました。
創建時は神仏混淆の「金毘羅権現社」と称していましたが、明治に神仏混淆が廃された際に社号を現在のものに改めています。
そして1873年(明治6年)には郷社に、1919年(大正8年)には府社に列しています。
その後1911年(明治44年)に行われた鎮座100年祭の際に、山上に鎮座する本殿へと続く120段の石段が設けられ、現在に繋がる神域が整いますが、1927年(昭和2年)3月7日に丹後地方を襲い、峰山の町にも壊滅的な被害をもたらしたマグニチュード7といわれる「北丹後地震」にて社殿がすべて罹災・倒壊。
現在の本殿を始めとするすべての社殿は、この地震より後の1933年(昭和8年)に再建されたものです。
縁結びの神として信仰を集めているほか、家内安全、商売繁昌、交通安全、開運厄除、大漁満足、海上安全、学業成就、病気平癒、安産などの神徳があり、また山の中腹には7社の末社があり、それぞれに女性の守り神や商売繁盛、防火や厄除けなどの神徳があるとされています。
中でも養蚕の神を祀る境内社「木島社(木島神社)」には、養蚕にとっては天敵であるネズミを退治しれくれることから、日本で唯一といわれる狛犬ならぬ「狛猫」が境内に鎮座しており、愛嬌のある顔で参拝者を出迎えてくれます。
行事としては4月9日~10日、7月9日~10日の春夏の大祭には境内が露店で賑わい、また10月第2日曜日の神輿渡御行列には町内の大屋台などの山車や曳き屋台、芸屋台など5基の屋台が毎年輪番で繰り出し、丹後の風物詩となっています。
また秋には紅葉の名所としても知られ、朱色の楼門付近を中心に美しい紅葉が境内を彩るほか、11月下旬には紅葉祭、11月中旬からの紅葉期間中にはライトアップも行われ、多くの参拝客で賑わいます。
この他に毎月第3日曜には、「ゆぅ~っくり のぉ~んびり」をコンセプトとした「こんぴら手づくり市」も開催しています。