聖徳太子創建が伝わり府北部唯一の国宝・二王門で有名
真言宗醍醐寺派の山岳寺院。標高582mの君尾山の麓にある綾部温泉や二王公園から更に2キロ山道を登った中腹に位置。
599年推古天皇の時代に聖徳太子の創建と伝わり役小角が修験道道場とした歴史を持つ。
本尊は千手観音で京都府北部で唯一の国宝・二王門があることで有名。堂には八十八体の石仏を安置
君尾山 光明寺のみどころ (Point in Check)
京都府綾部市睦寄町君尾、綾部市の東北、君尾山(きみのお)の中腹、「あやべ温泉」から約2kmの山道を登った先にある真言宗醍醐派の寺院。
山号は君尾山(きみのおさん)、本尊は千手観音。
寺伝「君尾山略記」によれば飛鳥時代の599年(推古天皇7年)、聖徳太子が創建し、673年(白鳳元年)には役行者が修験道場として籠ったと伝わり、その後、平安中期の延喜年間(901-23)に弘法大師空海の弟子で醍醐寺の開祖・聖宝(しょうぼう)(理源大師)により真言の道場として中興され、平安から鎌倉にかけて最盛期を迎え、寺領は上林全域に及び山上山下に72坊を有する大寺院であったといいます。
しかし戦国時代の1527年(大永7年)の兵火により二王門を除く諸堂が焼失し、数年後の1533(天文2年)に上羽丹波守によって再建されたものの、1579年(天正7年)に信長の命を受けた明智光秀の丹波攻略の際に焼失。
その後も時代の経過とともに堂宇は失われていき、現在の本堂は江戸後期の1836年(天保7年)に領主・藤懸左京の助力を得た弘道により再建されたものです。
一番の見どころは度々の戦火を逃れて現在まで伝わる「二王門」で、1950年(昭和25年)から行われた解体修理の際に、柱上の墨書銘によって鎌倉時代の1248年(宝治2年)に建立されたことは判明しており、京都府北部の建造物としては唯一の国宝に指定されていることで有名。
三間一戸の二重門で、入母屋造、栩(とち)葺きで、ベンガラ塗り(丹塗り)の色彩が味わい深く、創建当初の姿をよく留めているといい、また門に収められている仁王像も重要文化財に指定されています。
君尾山の中腹にあり緑豊かな光明寺の周辺には森林浴のための林間歩道や公園、キャンプ場などが整備され、市民に広く親しまれているほか、山内には樹齢1000~2000年ともいわれ「京都府指定天然記念物」や「京都の自然200選」に選定されている栃の木(トチノキ)が生育していることでも知られています。
また境内参道にはカエデの木が多く、初夏は新緑、秋は紅葉が美しいことでも有名なほか、また毎年6月には境内までの坂道や石段をコースに国宝の二王門を巡る「あやべ二王門登山レース」が開催され、多くのランナーが健脚を競います。