京都府南丹市八木町美里中石谷、JR吉富駅より田園の広がる府道408号を北東へ約1km進んだ先、桂川と園部川が合流する地点のやや北側にある真言宗大覚寺派の寺院。
山号は飯盛山、本尊は阿弥陀如来。
奈良時代の756年(天平勝宝8年)に奈良・東大寺を開創したことで知られる華厳宗の高僧・良弁(ろうべん 689-774)の開墓により創建。
高雄の「神護寺」の末寺として栄え、袈裟御前との悲恋の主人公であり神護寺を復興したことでも知られる文覚(もんがく 1139-1203)が僧侶になる儀式である得度をした寺院でもあり、その縁から境内には神護寺より移植された紅葉が多数植えられていて、秋になれば本堂を覆い尽くすように植えられた数百本の紅葉が七色に映える美しい景観を楽しむことができ、南丹市指定の「もみじ寺」とされています。
また平安末期の第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう 1127-92)の第7皇子である第80代・高倉天皇(たかくらてんのう 1161-81)が勅願寺とした寺院で、幾度も訪れて自身で参道を歩いて参拝したと伝わり、また天皇が当山を参拝した際に山間より湧き出た清水を飲み、その美味しさから名付けたという「玉泉」は現在も当山を潤し、更に庭園にある滝は「玉泉紅葉の滝」と名付けられ参拝者に安らぎをもたらしています。
現在の本堂は棟札から江戸後期の1804年(文化元年)の再建とみられ、南丹市指定文化財に指定。
堂内に本尊・阿弥陀如来や観音菩薩、不動明王などを祀り、欄間に飾られている幅約10mの欅材で造られた巨大な阿吽の龍の彫刻は、丹波を代表する彫物師・中井権次一統の6代目によるものだといいます。
また毎年お盆の時期の夜に「西光寺六斎念仏」が奉納されることでも知られています。
「六斎念仏」は太鼓や鉦を打ち「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えながら踊る民族芸能で、平安中期に空也上人が一般庶民に信仰を広めるために始めたと伝わる踊念仏に起源を持ち、月に6日ある忌み日「六斎日」に行われたことから「六斎念仏」と呼ばれるようになったそうです。
室町中期頃からは能や狂言も採り入れられ大衆化、現在は京都市内を中心に六斎日に関係なくお盆の前後や地蔵盆に行われていますが、丹波の地で行われているのは珍しいといいます。
約280年前の江戸中期に始まったといわれる歴史を持ち、戦後中断されていましたが、地元の人による六斎念仏保存会が結成され、1985年(昭和60年)には、京都府無形民俗文化財にも指定されています。
「西光寺六斎念仏」では浴衣姿の保存会の男衆が念仏を唱えながら鉦の音に合わせて太鼓を打ち鳴らし、念仏で始まり念仏で終わるといわれ、前奏の「六鼓」、後奏の「花振」の2曲に分かれて奉納されます。