恭仁宮跡(山城国分寺跡)とは?(基本データ)
- 名前
- 恭仁宮跡(山城国分寺跡)(くにきょうあと(やましろこくぶんじあと))
- エリア
- 木津川
- ジャンル
- 建立・設立
- 740年(天平12年)12月15日、平城京を離れた聖武天皇は伊賀、伊勢、美濃、近江など各地を行幸した後、恭仁宮に入り遷都を宣言
741年(天平13年)、国分寺・国分尼寺建立の詔
743年(天平15年)、恭仁宮の造営を中止し滋賀・紫香楽宮へ遷都(同年大仏造立の詔、墾田永年私財法の発布)
744年(天平16年)2月、難波宮へ遷都
745年(天平17年)5月、再び平城京に都が戻る
746年(天平18年)9月、恭仁宮の大極殿を国分寺に寄進の記述が「続日本紀」にあり(広大な寺域に金堂(大極殿)や七重塔を持つ巨大寺院だった)
1957年(昭和32年)、国の史跡「山城国国分寺跡」に指定
2007年(平成19年)、史跡名称が「恭仁宮跡(山城国国分寺跡)」に - アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 見学自由
- 住所
- 〒619-1106
京都府木津川市加茂町例幣溝垣内 - 電話
- 0774-73-8191(木津川市観光協会)
- FAX
- -
- 公式サイト
- 幻の都【恭仁京】 木津川市観光ガイド
恭仁宮跡 文化遺産オンライン
恭仁京朝市 京都府
コスモス・そば 京都府観光連盟
恭仁宮跡 南山城の古寺巡礼 京都南山城古寺の会