恭仁宮跡(山城国分寺跡)

恭仁宮跡(山城国分寺跡)

奈良時代、740~44年の間に都が置かれた恭仁京の跡

加茂町の木津川北岸、美しい田園風景が広がり秋にはコスモスが咲く瓶原に奈良の大仏を建立した聖武天皇の代、740~44年の3年余り置かれた恭仁京の跡地。 その後山城国分寺として再利用され大極殿は金堂に転用、現在は礎石と七重塔礎石が残るのみだが近くの山城郷土資料館で出土物や復元模型を観覧可能

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恭仁宮跡(山城国分寺跡)とは?(基本データ)

名前
恭仁宮跡(山城国分寺跡)(くにきょうあと(やましろこくぶんじあと))
エリア
木津川
ジャンル

宮殿・離宮跡・寺院・神社跡 史跡 秋桜

建立・設立
740年(天平12年)12月15日、平城京を離れた聖武天皇は伊賀、伊勢、美濃、近江など各地を行幸した後、恭仁宮に入り遷都を宣言
741年(天平13年)、国分寺・国分尼寺建立の詔
743年(天平15年)、恭仁宮の造営を中止し滋賀・紫香楽宮へ遷都(同年大仏造立の詔、墾田永年私財法の発布)
744年(天平16年)2月、難波宮へ遷都
745年(天平17年)5月、再び平城京に都が戻る
746年(天平18年)9月、恭仁宮の大極殿を国分寺に寄進の記述が「続日本紀」にあり(広大な寺域に金堂(大極殿)や七重塔を持つ巨大寺院だった)
1957年(昭和32年)、国の史跡「山城国国分寺跡」に指定
2007年(平成19年)、史跡名称が「恭仁宮跡(山城国国分寺跡)」に
アクセス
  • JR関西本線(大和路線)「加茂」駅下車 西口より徒歩約30分
  • 加茂駅西口」より奈良交通バスで約4分「岡崎」下車 徒歩約10分
  • 「加茂駅西口」より加茂コミュニティバス(奥畑線・銭司線・西線)で約7分「恭仁宮跡」下車すぐ(平日のみ)
  • 京奈和自動車道「山田川IC」より国道163号経由で約15分
駐車場
なし
拝観料
無料
お休み
無休
拝観時間
見学自由
住所
〒619-1106
京都府木津川市加茂町例幣溝垣内
電話
0774-73-8191(木津川市観光協会)
FAX
-
公式サイト
幻の都【恭仁京】 木津川市観光ガイド
恭仁宮跡 文化遺産オンライン
恭仁京朝市 京都府
コスモス・そば 京都府観光連盟
恭仁宮跡 南山城の古寺巡礼 京都南山城古寺の会

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恭仁宮跡(山城国分寺跡)の施設案内

 

境内

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周辺

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恭仁宮跡(山城国分寺跡)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

 

 

 

月並行事

第2・第4日曜

恭仁京朝市

 

花ごよみ

10月上~中

桜(サクラ)

 

 

彼岸花(ヒガンバナ)

 

10月上~中

蕎麦(ソバ)

 

10月上~中

秋桜(コスモス)

現在は大極殿(金堂)礎石と七重塔礎石が残るのみだが、周辺一帯は秋にはコスモスやそばの花の名所として知られる

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