京都府木津川市木津宮ノ裏、JR木津駅を北へ進んだ府道47号沿い、安福寺の東隣にある神社。
祭神は当初は非業の死を遂げた者たちの霊を鎮めるために神として祀るいわゆる「御霊信仰」にて名前の挙がることの多い藤原広嗣、早良親王、そして伊予親王であったようですが、現在は天之穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)となっています。
「勧請記」によれば、平安初期の876年(貞観18年)、第56代・清和天皇(せいわてんのう 850-81)により天下泰平悪気防護の守護神として創建。
以後は木津郷の産土神として信仰を集め、その後度重なる戦火に遭い、江戸中期の享保年間(1716-36)に再建された際に「御霊神社」と改称されたといい、現在の本殿は1730年(享保15年)に造営されたものです。
岡田国神社、田中神社とともに「木津三社」とも呼ばれ、かつては大路村にありましたが、1973年(昭和48年)に日本住宅公団が木津東部にに木津ニュータウンを建設する計画を発表すると、これに伴って岡田国神社、田中神社を含む三社は移転を余儀なくされ、社有地を売却した費用を元に現在地に移転され、1983年(昭和58年)に社殿が造営されました。
毎年10月の第4土日に行われる「木津御輿太鼓祭(布団太鼓祭)」は木津三社の合同で開催され、木津川を代表する秋祭りの一つ。
「布団太鼓台(ふとんだいこだい)」と呼ばれる豪華な彫刻と刺繍を施した布団の形をした神輿が各町内を出発しそれぞれ氏神を祀る神社へと向かうもので、乗り子を乗せて50~60名で担ぎ町内を練り歩く姿は勇壮で迫力満点。
江戸末期に五穀豊穣を祈願して始められたといい、木津川市の無形民俗文化財に指定されていて、かつては9基あったといいますが、現在は敬神組・拝神団・義友会・小寺・社町・西町(2017年に復活)の6基になっており、土曜日に御霊神社、日曜日の午前に田中神社、午後に岡田国神社をそれぞれ参詣します。
また祭りに先立ち木津川市役所前駐車場にて、御輿のライトアップも行われ、子どもが対象の御輿乗り子体験や露店なども出店し、かつて御輿が夜間運行されていた頃の雰囲気を楽しめるようになっています。