京都市北区雲ヶ畑出谷町、京都市北部の雲ヶ畑に位置する浄土宗寺院。
正式名は「帰命山無量寿寺福蔵院」といい、本尊は阿弥陀如来。
寺伝によれば、平安遷都直前の792年(延暦11年)に伝教大師最澄の門弟・空忍(橘軍氏)が、当地で法華三昧を修行中に雲ケ畑の山上に弥陀三尊を感得し、本尊を刻んで堂宇を建立し安置したのがはじまりで、元々は比叡山三千坊の一つに数えられていたといいます。
山間の地ながら人々の厚い信仰を受けていましたが、室町時代の1473年(文明5年)に第9代将軍・足利義尚(あしかがよしひさ 1465-89)の命により浄土宗に改められています。
現在の「本堂」は江戸後期の1854年(安政元年)に再建されたもので、堂内に本尊・阿弥陀如来像を祀り、また「観音堂」にはもと石清水八幡宮の豊蔵坊にあった豊臣秀吉(とよとみひでよし 1537-98)の守護仏と伝えられる十一面観音像を安置しています。
境内にある「南殿の桜」は御所の紫宸殿の南庭にあった桜の実を現在において最後の女性天皇として知られる第117代・後桜町天皇(ごさくらまちてんのう 1740-1813)から下賜され育てられたものと伝わっています。
また行事としては当寺のある出谷町および中畑町において、毎年8月24日夜に中畑町の高雲寺と共に開催する愛宕山への献火行事「雲ケ畑松上げ」が有名で、1983年(昭和58年)に「京都市無形民俗文化財」にも登録されています。