京都市左京区岩倉三宅町、丸太町通を起点に京都の北へと走る白川通が、宝ヶ池の横を通り花園橋で高野川を渡って更に北上し、宝ヶ池通との交差点で終点を迎えた後、更に北方の岩倉の中心へと伸びていく府道105号(岩倉街道)の途中、三宅八幡宮の西鳥居のそばに位置する叡山電鉄の鞍馬線の駅。
この点「八幡前駅」は1927年(昭和2年)に電力会社・京都電燈と京阪電気鉄道の合弁会社として設立された鞍馬電気鉄道の駅として1928年(大正14年)12月1日に開業したのがはじまりで、1942年(昭和17年)3月には戦時統制によって京都電燈が解散されるのを受け、同社の京都および福井での鉄道事業を分離・引き継ぐために「京福電気鉄道」が設立され、嵐山線・北野線・叡山線の路線継承によって京福電気鉄道の鞍馬線の駅となります。
その後、自動車社会の到来に伴って1976年(昭和51年)3月31日に京都市電の今出川線が全線廃止されて市バスに転換されると、出町柳駅が他の鉄道と接続しない孤立したターミナルとなり、京都市内中心部と直結する路線バスに乗客が流れて叡山本線・鞍馬線の利用客が一気に減少したことで京福および京福を配下に持つ京阪グループの経営を圧迫する事態に。
そこで経営体制の見直しが図られることとなり、1985年(昭和60年)7月に京福の全額出資で叡山電鉄株式会社が設立されると、翌1986年(昭和61年)4月1日には京福が叡山電鉄に叡山線の鉄道事業を譲渡する形で叡山電鉄鞍馬線の駅となりました。
更にその後、叡山電鉄が1991年(平成3年)に株式の60%が京福から京阪に売却され、2002年(平成14年)3月には全株式が京阪に売却されて京阪の100%子会社となったため、現在の叡山電鉄鞍馬線は京阪グループ傘下の駅となっています。
相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、府道105号(岩倉街道)側の駅東側の出町柳方面ホームと西側の鞍馬・貴船口方面ホームの双方の北と南の計4か所に出入口があり、北側は府道105号(岩倉街道)から少し入った一般道の踏切で、南側は駅構内踏切で両ホームが結ばれています。
無人駅で、ホームをほぼすべて覆う形で上屋が設置されており、柵や上屋の柱は三宅八幡宮にちなんで朱色に塗られていますが、この点、三宅八幡宮への最寄り駅は本殿西側の鞍馬線の当駅と、高野川を挟んだ南側の叡山本線の三宅八幡駅とに分かれる形ですが2つあり、本殿に近いのは当駅ですが、表参道は三宅八幡駅からになります。
また三宅八幡宮の最寄駅ではあるものの、住所は三宅八幡宮の鎮座する上高野ではなく西隣の岩倉三宅町であり、府道105号(岩倉街道)から岩倉へ向かう場合の岩倉の南東側の玄関口にあたる駅で、当駅の西側には同志社高校・中学校・小学校の校舎が置かれている「同志社岩倉キャンパス」があり、在学生が多く利用するといいます。
そしてその同志社岩倉キャンパスの南側すぐ、当駅から見て南西の所には「地下鉄国際会館前駅」も設置されていて、周辺は住宅街で近隣住民にとっても非常に交通の便の良い立地となっていますが、便利になった反面、地下鉄の駅ができて以降は利用客の著しい減少を余儀なくされているといいます。
そこで地下鉄烏丸線の開業以降利用者が減少した当駅を魅力ある存在にしようと、2013年(平成23年)1月7日から当駅を通学で使用する同志社中学校の生徒有志が叡山電鉄と協同して駅の修繕に取り組む「八幡前駅プロジェクト」と呼ばれる活動が行われていて、駅設備の塗装および壁新聞の掲出、クリスマス期のデコレーションやイルミネーションの実施などの地道な取り組みが行われています。