京都市左京区岩倉花園町、岩倉の高台にある浄土宗寺院。
山号は安穏山、本尊は阿弥陀如来。
創建の詳しい経緯は不明も、安土桃山時代の1591年(天正19年)、浄福寺4世・勝誉泰童が天皇の勅願により上京区西陣の千本一条、浄福寺の西隣の地に創建したのがはじまり。
開山・泰童上人の母親が病を罹い重態となった時、自らの念持仏であった薬師如来に病気平癒を祈願したところたちまち病は癒え元気になったといい、これにより堂宇を建てて薬師如来を本尊として奉安したといいます。
そしてこの薬師如来はその昔、田んぼの中に埋まっていたものが掘り出された際、薬師如来の背中に鍬が当たり傷跡が残ってしまったことから「鍬形薬師(くわがたやくし)」の通称で呼ばれるようになったいい、その後、泰童上人が念持仏として大切にお祀りしたといいます。
西陣にあった当時は広大な伽藍を有する大寺院だったといいますが、1984年(昭和59年)に都会の喧騒を避けるように岩倉に移転し現在に至っています。
ちなみに旧地には現在でも開山の泰童上人に由来するとされる「泰童片原町(たいどうかたはらちょう)」という地名が使われており、大超寺があった当時の名残をとどめています。
現在の本尊は1984年(昭和59年)、岩倉より移転した際に建てられたもので、現在本尊として祀られているのは阿弥陀如来を中心に勢至菩薩・観音菩薩を脇侍に従えた阿弥陀三尊像で、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)の作と伝わっています。
白衣の童子が泰童上人に「天照大神と阿弥陀如来の化身である」と告げたことから「神明の弥陀」と呼ばれいるといい、「暴れん坊将軍」として有名な徳川幕府第8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の寄進と伝わる三つ葉葵の御紋の入った金色に輝く宮殿(くでん)の中に安置されています。
そして本尊の他にも脇陣には前述の鍬形薬師のほか、鎌倉期作の木造「阿弥陀如来立像」、善光寺本尊の模刻像で江戸時代に善光寺より下賜されたと伝わる「善光寺如来像」などが安置されています。
現在は鍬形薬師が京都市内にある12の薬師霊場をめぐる「京都十二薬師霊場」の第8番の札所本尊となっていることで知られています。
薬師信仰は薬師如来に無病息災・病気平癒などを祈願する平安時代から続く京の町の風習の一つで、薬師霊場めぐりは札所となっている本尊の薬師如来を順番に巡るもので、江戸時代に盛んとなり天明の頃に現在の12の寺院が定まったとされていますが、その後長らく廃れていたものを2012年(平成24年)5月、約80年ぶりに復興し、専用の御朱印帳なども新たに作られて人気を博しています。