京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院で、大本山である大徳寺の22ある塔頭の一つ。
開基は戦国武将として有名な細川忠興(三斎)
開山は玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)
江戸初期の1601年(慶長6年)(1602年(慶長7年)とも)、戦国武将として名を馳せ、茶人としても千利休の高弟7人を指す「利休七哲」の一人に数えられる細川忠興(三斎)が、父・細川藤孝(幽斎)の弟で忠興にとっては叔父にあたる大徳寺130世・玉甫紹琮を開山に、父・幽斎の菩提を弔うために建立。
その後、1645年(正保2年)に忠興が83歳で没すると、その遺言によって遺歯が当院に埋葬されるとともに、以後は細川家の菩提寺として厚く庇護されました。
千利休の邸宅を移築したという書院「意北軒」と、書院の西北に続く茶室「松向軒」の2つの建物が有名。
このうち松向軒は豊臣秀吉の「北野大茶会」の際に建てられたものを移したと伝わる三斎好みの二畳台目の簡素な茶室で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていることで有名です。
また江戸初期に作庭されたという簡素ながらも趣のある庭園は通称「楓の庭」と呼ばれ、楓の樹が巧みに配され、苔と楓のコントラストが美しいことで知られています。
庭園は本堂脇から庭へ降りて見学することができ、奥には細川家歴代の墓所もありお参りすることもできます。
中でも忠興とガラシャ夫人の墓とされている石灯籠の「春日灯籠」は、鎌倉期のもので、千利休が所蔵し、秀吉に所望されるのを怖れて召し上げられないようにと灯籠の一角が壊されており、その切腹に際しては遺品として忠興に贈られたと伝わっています。
その他にも歌舞伎の祖として知られる出雲阿国(いずものおくに)や、近世初期の歌舞伎踊りの名手である名古屋山三郎の墓があることでも有名です。
寺宝としては中国南宋時代の画家・李唐筆の「絹本墨画山水図」2幅が、現在する墨絵山水画の名作で国宝。
また元初期ごろの伝銭選筆「牡丹図」2幅、および大永6年(1526)古岳宗亘の賛のある「稲葉良籌像」が重文に指定されており、これらの寺宝は毎年10月第2日曜日に1日限定で公開されています。
紅葉に包まれる参道や、本堂から眺める「楓の庭」の風景が美しく、とりわけ「散り紅葉」が美しいことで有名で、映画監督として有名なスピルバーグ監督も絶賛したという知る人ぞ知る紅葉の名所です。