氷室神社とは?(基本データ)
- 名前
- 氷室神社(ひむろじんじゃ)
- エリア
- 紫野・鷹ヶ峯
- ジャンル
- 建立・設立
- 創建年不詳
- 祭神
- 稲置大山主神(いなぎおおやまぬしのかみ)
- ご利益
- 痘瘡の神
- 例祭
- 6/15(例祭)
- 神紋・社紋
- アクセス
- 駐車場
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 603-8855
京都府京都市北区西賀茂氷室町 - 電話
- -
- FAX
- -
- 公式サイト
- 氷室神社境内及び氷室跡 京都市指定・登録文化財 史跡
氷室跡 京都市
北区・区民の誇りの木 京都市情報館
京都市北区西賀茂氷室町、鷹峯の交差点から京都府道31号西陣杉坂線を北西へ進み、京見峠を越えて「氷室別れ」より氷室道を進んだ先、西賀茂地区の西域の四方を山に囲まれた山間の盆地にある氷室の里に鎮座する神社。
この点「氷室」とは、天皇へ献上するための氷を氷池から採取した後に保存しておく穴室の貯蔵庫のことで、今でいう冷蔵庫のような場所。冬場に氷を製造してその氷室に保存された氷は夏に宮中で使用されていました。
旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされ、この日になると宮中では氷室から氷を取り寄せて口にして暑気を払い、また氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったともいいます。
この氷室の文献における初見は「日本書紀」仁徳62年条に見られ、額田大中彦皇子(ぬかたおおなかつひこのおおじ)が大和国闘鶏に狩りに出た際に山中で氷室を発見し、氷を天皇に献上したことが記載されています。
そして平安京遷都に伴っては新たに6か所の氷室が作られ、宮中の飲料水やや醤(ひしお)・粥(かゆ)なども司る役所である主水司(しゅすいし/もんどのつかさ)によって管理されていましたが、当地もその一つで、平安中期の927年(延長5年)にまとめられた「延喜式」に記載のある山城国愛宕郡の5か所の氷室のうち「栗栖野氷室」にあたると考えられています。
現在も神社の北西方向に「氷室跡」として約20m四方の窪地が3か所も残っているほか、その周辺には製氷に利用された5か所の「氷池」や、氷室・氷池の守護神として設置されたと考えられる「氷室神社」も現存しており、神社の詳しい成立年代や、現存する氷室の時期などに関しては不明な点は多いものの、氷室の遺構と氷室に関係する神社が良好な状態で現存する貴重な史跡であるとともに、地域の歴史上においても特に価値の高いものと考えられ、「氷室神社境内及び氷室跡」として1994年(平成6年)に京都市登録史跡に登録されています。
「氷室神社」は初めて氷を作り額田大中彦皇子に献上したと伝えられる稲置大山主神(いなぎおおやまぬしのかみ)を祭神として祀っており、中世以降は代々主水正を世襲し、宮中で使われる氷の事に携わった清原家が、氷室や氷池の守護神として勧請したと伝えられています。
創建年代や沿革に関する詳しい資料は残されていないものの、江戸時代の氷室神社や村の様子が「都名所図会拾遺」に描かれているほか、境内を構成する主な建物である本殿、拝殿、摂社のうち「拝殿」は江戸初期の第108代・後水尾天皇の中宮・東福門院の寄進によるもので、元和年間(1615-24)に後水尾天皇の内裏小御所の庭にあった釣殿の遺構で、1636年(寛永13年)に後水尾天皇の第二皇女が近衛家の近衛尚嗣に降嫁した際に造営された御殿の鎮守の拝殿と伝わり京都府登録文化財となっています。
氷室の産土神であり、古来より痘瘡の神としても信仰を集め、例祭の6月15日は宮中に氷を献上した日にあたり、旧暦の6月15日に当地から禁中まで、行列を仕立てて献上されるのが習わしとされ江戸時代まで続いていたといいます。
ちなみに当時の氷室の氷は大変貴重なもので、庶民が簡単に口にできるものではなく、そこで宮中の貴族たちにならい、氷室の氷を模って作られるようになったのが「水無月」と呼ばれる和菓子で、現在でも半年間の罪穢れを祓い清める「夏越の祓」の6月30日に暑気払いも兼ねて食されています。
門前右
朱塗りで「氷室大明神」の額が掛かる
本殿の前
江戸初期の第108代・後水尾天皇の中宮・東福門院の寄進によるもので、元和年間(1615-24)に後水尾天皇の内裏小御所の庭にあった釣殿の遺構で、1636年(寛永13年)に後水尾天皇の第二皇女が近衛家の近衛尚嗣に降嫁した際に造営された御殿の鎮守の拝殿と伝わり京都府登録文化財
方一間の柿葺きで、正面に唐破風、両側面に千鳥破風の珍しい構造で、蟇股には桃山風の花鳥彫刻が施されている
拝殿の手前左手にある
「拾遺愚草」に収録されている藤原定家の「夏ながら 秋風たちぬ 氷室山 ここにぞ冬を 残すと思へば」の歌が掲載されている
摂社
北区の区民誇りの木に選定
樹高30m、幹周2.9m
北区の区民誇りの木に選定
高さ30m、幹周2.7m
清原氏と傍流の伏原家の代々の墓石が残されている
京都市上京区丸太町通日暮西入南側、二条城北側の丸太町智恵光院交差点のそばに石碑が建つ
平安宮の飲料水や氷室などを司った役所「主水司(しゅすいし/もんどのつかさ)」の跡
本殿の左に境内末社「夫荒社(ふこうしゃ)」が祀られている
平安時代に毎年夏になると洛北や福王子神社の北方6kmに集落のある丹波の氷室から宮中御所へ氷を献上する慣わしがあったが、912年(延喜12年)、その運搬の際に先を急ぐあまり疲労のために命を落とした役夫の霊を「夫荒神」として祀り、安全を祈願したという
ちなみにこの夫荒社が「福王子(ふくおうじ)」の地名の由来ともいわれている
京都府南丹市八木町氷所字中谷山
式内・幡日佐神社と隣村に鎮座していた氷室神社が合祀された神社
奈良県奈良市春日野町の奈良公園にある神社
闘鶏稲置大山主命を祭神として祀る
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