京都市北区紫野大徳寺町、堀川北大路より約400m西に大伽藍を構える臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の20余りある塔頭寺院の一つで、本尊は釈迦牟尼仏。
大徳寺の中心伽藍の北側に位置し、大徳寺北派の本庵であるとともに、大徳寺山内塔頭の中でも特例別格地とされている寺院です。
大徳寺の広大な寺域の中には大徳寺の本坊と中心伽藍の他に、その周囲に歴代の大徳寺の僧たちが隠居所として創建した数多くの塔頭寺院が立ち並び一大寺町を形成していますが、これらの塔頭寺院は大仙院の北派、龍源院の南派、龍泉庵の龍泉派、そして真珠庵の真珠派(一休派)のいわゆる大徳寺四派に分かれていて、中でも大仙院は最も古い塔頭の一つであり、1502年(文亀2年)に創建された南派の龍源院と共に二大法系を築いてきました。
室町後期の1509年(永正6年)、六角近江守政頼の子で大徳寺76世住職・古岳宗亘(大聖国師)がその隠居所として創建したのがはじまり。
古岳宗亘(こがくそうこう 1465-1548)は、近江国に生まれ、16歳で京都にのぼり建仁寺に入寺しますが、23歳の時に大徳寺の春浦宗煕(しゅんぽそうき 1416-96)に師事し、次いで如意庵の実伝宗真(じつでんそうしん 1434-1507)に20余年参じて法を嗣ぎ、1509年(永正6年)に大徳寺第76世となりました。
後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)や後奈良天皇のほか多くの公家や武家からも帰依を受け、1522年(大永2年)には後柏原天皇から「仏心正統禅師」の名を、また1536年(天文5年)には後奈良天皇から「正法大聖国師」の号を賜っています。
法統を伝えられ法嗣も多く、その法系は「北派」と称されて全盛期の大徳寺の主流派となり、また堺の豪商で茶人としても知られる武野紹鴎も参禅したといい「大徳寺の茶面」とも呼ばれた本山の茶の湯化にも貢献したといいます。
その他にも1526年(大永6年)には大阪府堺市に結んだ「南宗庵」という名前の庵は、後に臨済宗大徳寺派の寺院「南宗寺(なんしゅうじ)」となり、戦国時代に畿内に勢力を築いた戦国大名・三好氏の菩提寺となり、その後も武野紹鴎や千利休が修行をするなど、堺の町衆文化の発展に寄与し、大徳寺聚光院とともに千利休の墓があることでも知られる寺院です。
古岳宗亘の後も90世住持で三好長慶の招きで南宗寺の開山とされた大林宗套(だいりんそうとう 1480-1568)や、戦国大名の三好長慶が創建し現在は三千家の菩提寺となっている大徳寺聚光院の開山である笑嶺宗訴(しょうれいそうきん 1505-84)、戦国武将・黒田官兵衛の菩提を弔うために創建された大徳寺龍光院の開山である春屋宗園(しゅんおくそうえん 1529-1611)、そして織田信長の菩提寺となった総見院の開山であるほか茶の湯を大成した千利休が禅の師とし利休の居士号を選ぶなど懇意にし度々訪問していたという古渓宗陳(こけいそうちん 1532-97)といった名僧が続き、また江戸時代に「紫衣事件」で徳川幕府に一歩も退かずにで出羽国に流罪となり、許されて後は徳川家光より信頼を得て東海寺に住持し、家光に腹が減るだけで全てのものは美味しく感じると説いたことから「たくあん漬け」の名前がついたことでも有名な沢庵宗彭(たくさんそうほう 1573-1646)も37歳で大徳寺の第154世に住持を務めたことがある人物です。
現在も境内に残る建物のうち「本堂(方丈)」は1513年(永正10年)に建造された創建当初の建物で、内部の「床の間」と「玄関」は日本最古といわれ、また禅宗の方丈建築としても東福寺・龍吟庵の方丈に次いで古い遺構であり、南東側に付属する玄関と合わせて国宝に指定されています。
本堂北の入母屋造の書院「拾雲軒」は1614年(慶長19年)に沢庵によって造立されたもので、室町時代の代表的書院建築として国の重要文化財にも指定されているほか、フィクション上では吉川英治の小説「宮本武蔵」において沢庵が剣豪・宮本武蔵に剣の極意を授けるシーンの舞台として描かれています。
また庭園は本堂(方丈)の北東側に「書院庭園」、南西側に「方丈南庭(大仙院庭園)」があり、このうち「書院庭園」は当院の開祖・古岳宗亘(大聖国師)の作庭した枯山水庭園で、わずか30坪という狭い敷地に白砂と無数の巨石を巧みに配することで山や滝、渓流などが見事に表現されています。
世界遺産・龍安寺の石庭とともに室町期の典型的な枯山水の名庭として知られ、その名声は江戸期に発行された作庭書にも名が挙げられるほどで、現在は国の史跡および特別名勝に指定されています。
その他にも寺宝としては国宝「大灯国師墨蹟」のほか、元々は本堂(方丈)の障壁画(襖絵)として使用され現在は掛軸となっている室中の伝・相阿弥筆「四季山水図」16幅と相阿弥筆「瀟湘八景図」6幅、上間(檀那の間)の伝・狩野元信(狩野派の始祖・狩野正信の子)筆「四季花鳥図」8幅、下間(礼の間)の伝・狩野之信(元信の弟)筆「四季耕作図」8福、更に中国元より伝わった堆朱器「牡丹孔雀模様堆朱盆」がいずれも国の重要文化財に指定されています。
龍源院・瑞峯院・高桐院とともに大徳寺塔頭で常時公開している4つの寺院の一院で、庭園などを見学できるほか、有料にて豊臣秀吉が茶を飲んだ後に3つの良いことがあったという千利休と秀吉ゆかりの縁起の良い「三福茶」を頂くことができるといいます。
その他に行事としては、毎年3月17日には千利休と関わりの深かった3代住持の古渓和尚を偲んで「古渓忌」の法要が営まれ、また合わせて「お茶でくつろぐ会」も開催され、普段公開されていない茶室にて薄茶をいただくことができます。
そして週末には「座禅会」も開催されているほか、春休みおよび夏休みには子供向けの「禅寺体験教室」も開催されていて、座禅を中心に経文唱和や写経、法話など、普段はできない貴重な体験をすることができ、楽しく禅寺の雰囲気に親しむことができます。
当院において1965年(昭和40年)より住職、2007年(平成19年)からは閑栖を務める尾関宗園(おぜきそうえん 1932-)は、包容力ある人柄とユニークかつ豪快な説法で人気を集め、テレビ番組の人生相談のほか、「大丈夫や! きっと、うまくいく」など著書も多数あり、また1993年から2021年に引退するまで28年間もの間、京都工芸繊維大学において非常勤講師として「生活文化史」を担当するなど、「意気の道場」の推進者として数多くの人々に生きる力を与え続けています。