京都市右京区太秦桂木町、桂ケ原町、多薮町、堀ケ内町にまたがる大映通りにある商店街で、店舗数は76店舗。
大映通りは嵐電の太秦広隆寺駅前で三条通から分岐し、三条通の南側を三条通に並行する形で進んで、帷子ノ辻駅前で再び三条通へと合流する全長約700mの通りです。
元々は生活道路だったものが、戦後、嵐電の太秦駅と帷子ノ辻の間をつなぐ三条通のバイパス的役割を果たして発展していき、毎月5日・15日・26日と定期的に夜店が出店することから「夜店通り」という名前がついていたといいます。
当初は夜市から始まったものが市場やスーパー、銀行など様々な店が次々に出店する事により商店街としての形が整いはじめ、1966年(昭和41年)4月、有志により「大映通りショップ繁栄会」が設立されたのを皮切りに、1971年(昭和46年)8月、全商店の加盟により「大映通り商店街」に改組するとともに、法人組織の「大映通り商店街振興組合」を設立されて現在に至っています。
この点「大映通り」の名前はかつて存在した日本の映画会社「大日本映画製作株式会社(大映)」が所有していた京都の映画スタジオ「大映京都撮影所」に由来するもの。
1927年(昭和2年)に日本活動写真(日活)が「日活太秦撮影所」として開所し、1942年(昭和17年)1月、戦時下における映画法の制定や第二次世界大戦開戦にともなう戦時統合で、日活の製作部門、新興キネマ、大都映画が統合し松竹、東宝と並ぶ映画会社の一つ「大日本映画製作株式会社(大映)」が誕生すると「大映京都撮影所」と名を改めました。
片岡千恵蔵(かたおかちえぞう 1903-83)の「多羅尾伴内(たらおばんない)」シリーズ(1946-60)や三益愛子(みますあいこ 1910-82)主演の「母もの」などのヒットにより経営基盤を固め、黒澤明(くろさわあきら 1910-98)監督の「羅生門(らしょうもん)」(1950)がベネチア国際映画祭でグランプリに相当するサン・マルコ金獅子賞を獲得。
その後も、溝口健二(みぞぐちけんじ 1898-1956)監督の「雨月物語(うげつものがたり)」(1953)や「山椒大夫(さんしょうだゆう)」(1954)がともにベネチア国際映画祭銀獅子賞、衣笠貞之助(きぬがさていのすけ 1896-1982)監督の「地獄門」(1953)がカンヌ国際映画祭グランプリを受賞するなど、国際映画祭で連続して賞を受賞し、日本の映画の芸術性の高さを世界に知らしめました。
また時代劇では「座頭市(ざとういち)」シリーズ(1962-71)や「眠狂四郎(ねむりきょうしろう)」シリーズ(1963-69)などの人気シリーズが生み出され、勝新太郎(かつしんたろう 1931-97)や市川雷蔵(いちかわらいぞう 1931-69)がファンの心を釘付けにしました。
しかしテレビの普及などにより映画界が斜陽化する中で業績が悪化していた大映が1971年(昭和46年)12月に倒産。
1974年(昭和49年)に徳間書店の傘下に入ると「大映映画京都撮影所」と名称変更されてしばらくは存続しますが、1986年(昭和61年)4月に完全閉鎖されて59年間の撮影所の歴史に幕を下ろし、その後跡地は住宅地となりました。
ちなみに大映の方はその後2002年(平成14年)に角川書店に売却され、現在は角川映画と社名が変更されており、「大映」の名は旧作映画のブランド名としてのみ使われることとなっています。
そして大映通り商店街が立地する太秦地区は、今も現存する「松竹撮影所」や「東映太秦映画村」など昭和初期から複数の撮影所が立ち並ぶなどキネマの都であり、往時は撮影の合間に映画スターが衣装のままで通りを歩いていたとか、俳優の名前がついた定食があるとか、有名監督の作品に出演経験をもつ名物店主がいるなど、映画にまつわる様々なエピソードが息づく「日本のハリウッド」と呼ばれる存在でした。
かつて付近にあった大映の映画撮影所とともに発展した大映通り商店街ですが、大型店の進出や郊外型店舗の増加、少子高齢化や後継者不足など、商店街を取り巻く環境が厳しい状況にある中、現在はかけがえのない地域の資源である「映画」をテーマに、特色のある商店街づくりに積極的に取り組まれています。
例を挙げれば映画フィルムをデザインしたユニークなカラー舗装や、映画のカメラをモチーフにした街灯などを整備することで「キネマストリート」の名でも親しまれるように。
また2013年(平成25年)3月には、かつて大映京都撮影所で「大魔神」「大魔神怒る」「大魔神逆襲」の三部作が制作されて一世を風靡した特撮映画の元祖といえる作品「大魔神シリーズ」がおよそ50年ぶりに復活。
商店街の通り沿いにある「スーパーにっさんクオレ」の店頭に映画の撮影時と同じ大きさ、全行5mの迫力の巨大な大魔神像が設置され、地域の新しい守り神として親しまれています。
更にストリートの真ん中には、大魔神の実物大顔面や古い映写機、映画スチール、台本、ポスターなど、映画にまつわる貴重な資料を手に取って楽しめるカフェ「うずキネマ館 キネマキッチン」があり、遠方からも熱心な映画ファンが訪れているといいます。
その他にも、学生や若手クリエーターのために商店街の路地を開放し、地域と交流しながら作品を展示・販売する「ザ・太秦コンテンツコミュニティ」の開催や、地域の団体や住民と一体となって、子どもから高齢者まで誰もが気軽に立ち寄りくつろげる交流スペース「うずキネマ館」の運営など、人と人とがつながる拠点となる新しい取組に次々とチャレンジされています。