京都市街の西部を南へと流れる淀川水系の一級河川で、別名は「紙屋川(かみやがわ)」。
全長は約14kmで、北区鷹峯(たかがみね)北西の山中に源流し、北野天満宮の西を流れた後、天神川となって西大路通の東側を南へと流れ、南区吉祥院(きっしょういん)で桂川に流入します。
具体的な流路は、
まず京都市北西部の北区鷹峯(たかがみね)北西の山中に源流し、
右京区鳴滝の標高515.8mの沢山の東麓、沢ノ池付近を水源とし北流してきた吉兆谷川と合流し
鷹峯台地(北区鷹峯大谷町)を囲むように東へ出た後は、概ね南流
その後、北区鷹峯千束町で原谷から北東へと流れてきた原谷川を吸収した後は南東に流れ
しょうざんや鷹峯の御土居を通って南へ
大文字山の裾、金閣寺のある西大路通と北大路通が合流するやや東で北大路通を通り抜けた後は、
北野天満宮の西側を流れ、今出川通を過ぎるとしばらく西大路通の100mほど東を並行に流れ、
丸太町通(円町交差点やや東)を過ぎると進路を徐々に西へと変えて西大路通に近づいていき、西大路太子道で西大路通と交差し、そこから急に角度を変えて西へと進む
その後北から南へと下がってきた国道162号と天神川御池の北でぶつかるとともに、平行して流れてきた御室川と合流
途中天神川三条で西高瀬川と交差
その後は三条~四条~そして五条まで天神川通となった162号と並行する形でほぼまっすぐに南流し
五条の南で西京極総合運動公園と阪急西京極駅の間を流れ、このあたりからは南南東へと進路を変えつつ
七条、八条、九条、十条と過ぎ、最後は南区吉祥院下ノ向町の吉祥院公園の西あたりでで桂川に流入する
このうち、北野天満宮のすぐ南の上京区紙屋川町付近から上流を「紙屋川」、下流を「天神川(てんじんがわ)」と呼んでいます。
ちなみに現在の河川法上では上流の鷹峯千束町から南をすべて「天神川」と総称していますが、江戸時代までは紙屋川の名の方が一般的であったといいます。
また平安京が作られた当時は朱雀大路を挟んで対称の位置に堀川があったため、「西堀河」と称されていたといいます。
そして「天神川」の名は中流で「天神さん」の愛称で親しまれている北野天満宮の西を流れていることに由来し、
一方「紙屋川」の名は平安時代の北野付近に紙師が居住し、紙屋院(かみやいん)の管理のもとにこの川のほとりで朝廷用の紙漉(かみす)きが行われたことに由来しているといいます。
またこの川は秀吉が御土居を建造した際には御土居の堀の役割を果たしていたと考えられ、秀吉の作った御土居の遺構が、北野天満宮の紙屋川の河岸や鷹峯付近などに残され、その大半が国の史跡に指定されています。
ちなみに元々は太子道から南も南流していましたが、1935年(昭和10年)6月の京都水害(鴨川水害)を受け、1944(昭和19年)に天神川と御室川を合流させる河川工事が行われて付け替えが行われ、現在の流路となりました。
そして川沿いの国道162号線は「天神川通」と呼ばれていて、このうち三条~四条(天神川四条)~五条(五条天神川)~西京極橋の左岸にはソメイヨシノの桜並木が約2kmにわたって100本以上も延々と続き、見頃の時期には奥の方までずらっと桜のピンク色が続く壮観な景色を楽しむことができ、京都の桜の名所の一つとして市民に親しまれています。
この点、川の西岸を国道162号(天神川通)、川の東岸を葛野中通が通っており、西岸からは川沿いに続く桜並木を俯瞰して眺めることができるほか、また東岸では四阿(あずまや)や川に沿う形で遊歩道が整備されており、桜並木のトンネルの下を散策することができます。
また途中の四条、綾小路(西綾小路橋)、高辻(西高辻橋)、万寿寺(西万寿寺橋)、五条(西五条橋)には橋が架けられており、とりわけ東側に三反田児童公園と公衆トイレ、その東に葛野小学校がある万寿寺通との交差点には、橋の北側上空を通る形で西万寿寺歩道橋が架けられており、上から見下ろす形で桜並木を眺めることができおすすめです。