京都市右京区嵯峨小倉山田渕山町、嵯峨観光鉄道の「トロッコ嵐山」駅を出てすぐ、「百人一首」の和歌が詠まれたことで知られる小倉山の麓にある小倉池の前に鎮座する神社。
藤原鎌足の末孫で、日本で最初の髪結いとされ、理容・美容業の始祖とされる、藤原采女亮政之(ふじわらうねめのすけまさゆき)を祭神として祀ることからその名のとおり、日本で唯一といわれる「髪」に御利益があるとされている神社で、理容・美容関係者をはじめ化粧品や洗髪、育毛剤、カツラなど髪に関係する業者、はたまた髪の毛を美しくしたい女性から抜け毛に悩む男性まで、幅広い信仰を集めています。
亀山天皇(在位1259-74)の時代、藤原鎌足の末孫である北小路左衛尉・藤原基春(もとはる)は宮中の宝物守護にあたる武士でしたが、預かっていた宝刀「九王丸」を紛失した責任を取り、供に三男・政之を連れて諸国行脚の旅に出ます。
そして文永5年、親子は旅の最後に下関に居を構えることになりますが、これは当時の日本が蒙古襲来に備え下関に大勢の武士を配置していたことから、宝刀が見つかるかもしれないと考えてのことでした。
この時、生計のため政之がはじめたのが髪結いで、庄屋の婦女の髪を結って父を助けていたといい、これが日本における理容業・美容業の起源といわれています。
政之の髪結いは髪結所を設けるほどに評判だったらしく、1281年(弘安4年)の基春没後に鎌倉に移り住んだ後は評判を耳にした幕府御用達の髪結師として重用され、1335年(建武2年)4月17日に没した後、その功績により従五位を賜っています。
そして御髪神社はその藤原采女亮政之を祭神とし、1961年(昭和36年)に京都市の理美容業界関係者らにより、後に彼らが仕えた亀山天皇の御陵に近い嵯峨野の小倉山の麓に創建されました。
境内には髪を奉納する「髪塚」があり、願い事をしながら切った髪を納めるとご利益があるといわれ、献納された髪は神職によって祈拝が行われ所願成就が祈念されます。
また毎年大祭の日には「業祖神奉祭(ぎょうそしんほうさい)」および「髪供養」が開催され、理容・美容業界関係者などが髪への感謝を捧げます。
ちなみにこの神社の参拝方法には「献髪」という独特な方法があり、神職に髪の毛を一房切ってもらい、それを「御髪献納」と書かれた袋に納めて神前に供えてから参拝すると髪の毛にご利益があるとされています。
また神社の絵馬はつげ櫛の形をしており、境内のあちこちで奉納された絵馬を目にすることができます。