幽雅閑寂の佇まいをもつ京都屈指の紅葉の名所
日蓮宗の寺院。名前の由来は幽雅閑寂で常寂光土に遊ぶような風情がある所から。
百人一首で有名な小倉山の中腹に位置し苔むした茅葺の仁王門をくぐり石段を上れば境内から嵯峨野を一望できる。
秋は山全体が紅葉に覆われ京都屈指の美しさを誇る。新緑も見事
常寂光寺のみどころ (Point in Check)
京都市右京区嵯峨野、小倉山の中腹に位置する日蓮宗の寺院で、京都随一の紅葉の名所として知られています。
安土桃山末期の1596年(慶長元年)、日蓮宗大本山の本圀寺(ほんこくじ)16世・究意院日禛(くきょういんにっしん)が隠棲の地としたのがはじまり。
寺号は境内からは嵯峨野を一望でき、静寂で清らかなまるで仏の住む「常寂光土」に遊ぶような風情があるとしてこの名前がつけられたといいます。
開山にあたり土地を寄進したのは高瀬川や保津川の開削で有名な戦国時代の京都の豪商・角倉了以と角倉栄可で、日禛が歌道への造詣も深かったことから和歌で有名な小倉山の地を寄進。
日禛は歌聖・藤原定家ゆかりの地に隠棲できた事を大いに喜び、その後了以が付近の大堰川(保津川のこと)の竣削工事を行った際には、大いに支援したといいます。
その後も小早川秀秋、加藤清正などの戦国武将や京都町衆など多くの帰依者を集め、第2世・日韶(にっしょう)の代に現在の境内の基礎となる堂塔伽藍が整備されました。
本堂は伏見城の遺構で、慶長年間(1596~1610年)、小早川秀秋の助力を得て客殿を移築したもので、その後1932年(昭和7年)に大修理が行われています。
他にも本圀寺客殿南門を移築した仁王門や、高さ12m余の重文の多宝塔、鐘楼の建立などもこの時期に行われました。
一帯は平安時代に小倉百人一首を編纂した藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる場所で、山麓には「時雨亭址(小倉山荘址)」の候補地とされる史跡も残されています(他に二尊院と厭離庵にも同候補地)。
斜面に沿って境内が整備されており、境内からは嵯峨野を一望できるほか、秋は山全体が美しい紅葉に包まれ、多くの参拝客で賑わいます。