京都市山科区上花山旭山町、東山五条の五条通から山科へと通じる五条バイパス(国道1号)の途中にある東山トンネルのそば、東山三十六峰に連なる六条山にある浄土真宗大谷本願寺派の本山・本願寺(東本願寺)の納骨堂。
親鸞を宗祖とする浄土真宗の本山・本願寺は1602年(慶長7年)には関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康の宗教政策により東西に分立しましたが、このうち東本願寺は戦後昭和期に起きた「お東騒動(おひがしそうどう)」と呼ばれる事件をきっかけに
更に4つに分かれています。
「お東騒動」とは真宗大谷派東本願寺が、教団の運営は何人の専横をも許さず本来的に同信の門徒・同朋の総意によるべきであるという「同朋会運動」を推進する改革派と、宗祖・親鸞の血筋を引き法主・管長・本願寺住職の3つの地位を一元的に継承(世襲)する大谷家とそれを擁護する保守派との宗門内の対立から、同宗派が4派に分裂するまでに至った事件。
事の発端は大谷家第24代・大谷光暢(闡如)の時代の1969年(昭和44年)、光暢(闡如)が内局に事前承諾を得ずに法主・管長・本願寺住職のうち管長職のみを長男の光紹新門に譲ると発表した「開申事件」が発生。
これをきっかけとして改革派は、宗派の運営を選挙により選出される議員の構成する宗派の議会で行う「議会制」や、従来の「法主」「管長」「本願寺住職」にかわり、門徒・同朋を代表して仏祖崇敬の任にあたる象徴的地位として「門首」を置く「象徴門首制」を採用、更に「宗本一体」の考えから1987年(昭和62年)12月、包括・被包括の関係にあった宗教法人本願寺と真宗大谷派との合併がなされ、宗教法人としての本願寺を法的に解散し、宗教法人「真宗大谷派」に一体化され、東本願寺の正式名称も「真宗本廟」と改められました。
これに対し保守派は教学の構築・教団の運営は従来通り伝統的権威と権限とを有する法主を中心になされるべきとの姿勢から、大谷家光暢(闡如)の長男を中心とした勢力が真宗大谷派を離脱することとなり、1981年(昭和56年)6月15日に、長男が住職を務めていた東京別院東京本願寺(東京都台東区)を大谷派から分離独立させ、1988年(昭和63年)2月29日には同寺を中心にこれに賛同する末寺・門徒をまとめ「浄土真宗東本願寺派」が結成されました。
そしてこれとは別に光暢(闡如)の次男、および光暢(闡如)の妻と四男を中心とした2つの勢力が同じく教団のあり方をめぐる意見の対立から真宗大谷派を離脱し、下記の4つの派に分派することとなります。
[1] 真宗大谷派 真宗本廟(東本願寺)(京都市下京区)(光暢の三男・大谷暢顯(淨如)、末寺数約9,000)
[2] 浄土真宗東本願寺派 東本願寺(東京都台東区)(光暢の長男・大谷光紹(興如)、末寺数300~400)
[3] 浄土真宗大谷本願寺派(一般財団法人本願寺文化興隆財団) 本願寺(東本願寺)(京都市伏見区下鳥羽(事実上の本山は山科区の東山浄苑))(光暢の次男・大谷暢順(經如))
[4] 東本願寺嫡流 本願寺(嵯峨本願寺)(京都市右京区嵯峨鳥居本)(光暢の四男・大谷暢道(後に大谷光道に改称)(秀如))
このうち「東山浄苑」は[3]の浄土真宗大谷本願寺派を1996年(平成8年)に立ち上げた光暢の次男・大谷暢順(經如)が、1971年(昭和46年)に財団法人本願寺維持財団理事長に就任した後、大谷祖廟が手狭となったのを受けて1973年(昭和48年)に新たな墓所として企画・造営されたものです。
この点、東山浄苑のある東山三十六峰に連なる「六条山」は伏見宮邦家親王の第4王女・嘉枝宮和子女王(かえのみやともこじょおう 1830-84)が1848年(嘉永元年)12月16日に東本願寺第21世・大谷光勝(厳如)(おおたにこうしょう(ごんにょ) 1817-94)のもとへ降嫁する際に大谷家が宮家より賜ったもので、三十六峰の山々の中でも頂上も高く、北に比叡山、西に京の町、東には山科を見下ろすことができる眺望も格別なほか、平安中期には第65代・花山法皇(かざんほうおう 968-1008)が咲き誇る山吹や藤を愛でられたと伝えられていて、現在も緑豊かな苑内は文化庁より風致地区に認定されています。
そして3万坪、約7万3,000㎡という壮大なスケールを誇る敷地内には「嘉枝堂」と回廊でつながった「常楽堂」を合わせて約3万基の納骨御仏壇を安置する御堂が建立され、全ての人の「心のふるさと」として宗旨・宗派を問わず誰にでも広く開かれおり、参詣者は年間50万人にも及ぶといい、四季折々に美しい豊かな自然の中で、毎日朝夕欠かさず本堂でお勤めが行われています。
ちなみに浄土真宗大谷本願寺派の本山は、正式には伏見区下鳥羽にある「本願寺(通称・東本願寺)」ですが、報恩講や盂蘭盆会、彼岸会といった宗派の各種行事や法要などは山科区の東山浄苑の方で行われているといい、事実上の本山となっています。
そしてそれらの行事の中でよく知られているのが毎年4月に開催されるお釈迦さまの誕生日を祝う「花まつり」で、釈尊ご誕生の地であるインドのルンビニ花園を象ったという草花で飾った花御堂の中に誕生仏を安置し、天が感動して甘露の雨を降らせたという故事にに基づいて像に甘茶をかけてその生誕を祝う行事です。
そして当日は京都でも最大級といわれる毎年100人を超える子どもたちが参加して行われる稚児行列や、お釈迦様の生母・マーヤ夫人(ぶにん)役の女性や吹奏楽などで構成されたパレードのほか、慶賛コンサートや屋台村の開催、そして参加者対象の豪華景品を用意した抽選会など、楽しい企画が多数用意され、多くの家族連れが参加し賑わいます。