京都市上京区主税町、世界遺産・二条城の北西角の通りを挟んで北隣にある公園と、園内に祀られている祠。
「鵺大明神(ぬえだいみょうじん)」の祭神は鵺大明神、朝日大明神、玉姫大明神。
平安時代、二条公園を含む付近一帯は、天皇の住まいである内裏や、現在の国会議事堂に当たる大極殿を正殿とする朝堂院、そして今の内閣に相当する太政官など、国家政治の中心となる官庁街でした。
「平家物語」巻の4によれば、平安末期の1153年(仁平3年)、毎夜丑三つ時になると東山三条の方から黒雲がわき上がるとともに御所の上で奇怪な鳴き声を立て、天皇を怯えさせていたことから、朝廷はその物の怪を退治するよう弓の名手として知られていた源頼政(みなもとのよりまさ 1106-80)に命じます。
命を受けた頼政は現在姉小路にある高松神明神社にて大願成就の祈祷を行った後、問題の時刻に御所の上を覆う黒雲に怪しい姿を発見し矢を放ちますが、すると空から落ちてきたのは「鵺(ぬえ)」と呼ばれる頭は猿、胴は狸、尻尾は蛇、手足は虎という姿恰好の不気味な物の怪でした。
この点「鵺」の名前の由来は、森の中で夜中に細い声で鳴くトラツグミが「鵺鳥」と呼ばれていて、この異形の妖怪もトラツグミに似た声で鳴くことから鵺と名付けられたといいます。
そして鵺が落ちてきたのがこの地のあたりだったといい、従者の猪早太がとどめを刺した後、頼政が血のついた2本の鏃(やじり)をこの地にあった池で洗ったと伝えられていて、この「源頼政の鵺退治」の伝説は後に室町時代には能の「鵺」、また江戸時代にも浄瑠璃や歌舞伎の題材とされ広く知られるようになっています。
また江戸中期の1700年(元禄13年)ににはその偉業を讃えるためにこの地に「鵺池」に関する石碑が、その後1936年(昭和11年)には原碑が摩滅したことから復元碑も作られており、それと前後して1929年(昭和4年)には池のそばに射落とされた鵺を神として祀った「鵺大明神(ぬえだいみょうじん)」が建立されています。
一方「二条公園」は現代に入った1928年(昭和3年)、昭和天皇御即位記念に開かれた「大礼記念京都大博覧会」の会場内に児童遊園地が設置された後、1934年(昭和9年)に「二条児童公園」として整備されたもので、2005年(平成17年)には大規模な改修工事が行われ、公園の北側にあったとされる「鵺池」が復元されるとともに、中央には「鵺池碑」が移されて園池として整備されています。
現在の園内にはこの他に上京区の区民誇りの木としてケヤキ、ヒマラヤスギ、シダレヤナギなどの巨木があるほか、春は桜の隠れた名所として多くの近隣住民が花見に訪れます。
また現在は烏丸御池に移転されたNHK京都放送局は2015年(平成26年)2月21日に移転されるまでは同公園の北側にあり、「春の感謝祭」のイベント会場として利用されていました。
ちなみに鵺の亡骸は鵺の祟りを恐れた都の人々により小船に乗せられて桂川に流され、淀川を経て大阪市都島区に流れ着いたといい、途中流域の村々に病気を蔓延させたことから疫病の流行は鵺の祟りであると考え「鵺塚」を作って手厚く葬ったたといい、また鏃そのものは頼政が鵺の前に大願成就の祈祷を行った高松神明神社に奉納・保管されているといいます。