京都市上京区上御霊前通室町西入玄蕃町、地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅の交差点から西へ進んだ、上御霊前通と衣棚通の交差する北東にある天台宗寺院。
民家のようにブロック塀に囲まれた小さなお寺で、正式名称は「羽休山飛行院西林寺(うきゅうさんひこういんさいりんじ)」、
通称「木槿地蔵(もくげじぞう)」と呼ばれています。
寺伝によると平安初期の延暦年間(781-806)に慶俊(けいしゅん)によって開創。
慶俊が悟りを開いた時、この地で朝露に乱れ咲く木槿(むくげ)の草むらから地蔵尊が姿を現したことから、その姿を石に刻んで本尊としたことにより「木槿地蔵(もくげじぞう)」と呼ばれるようになったといいます。
ちなみに慶俊は西の横綱と呼ばれた天狗・愛宕太郎坊(あたごたろうぼう)を祭神とする愛宕神社(あたごじんじゃ)を中興したことで知られる人物で、正式名称の「羽休山飛行院」というのは、愛宕山の天狗・太郎坊が都見物の際に、必ず西林寺境内にある松で羽根を休ませたと伝えられていることに由来しているといい、その松の木は「天狗の松」と呼ばれていましたが、台風によって折れて枯れてしまい、現在は切り株が残るのみだといいます。
かつては広大な寺域を誇っていましたが、「応仁の乱」や「天明の大火」などによって焼失し、更に明治初期には「廃仏毀釈令」により危うく取り壊されるところでしたが、木槿地蔵や天狗の松の故事により難を免れたとい、現在は本堂と地蔵堂があるだけで、山門もない小さな寺院となっています。
本尊の木槿地蔵尊は、京都でも知られる名地蔵尊の一つに数えられ、江戸中期には六地蔵以外で48ヶ寺の地蔵を順番に回って拝んだという「洛陽48願所地蔵めぐり」の第19番に数えられていたといいます。
また天狗との関わりが伝えられえるように修験道との関わりも深く、例年11月23日に本堂前にて採燈大護摩供(さいとうおおごまく)が厳修され、当日は参拝客に無料で「幸せ善哉」が振舞われます。
そしてその他にも毎月23日(1月と11月を除く)には真言念誦行(しんごんねんじゅぎょう)(もくげ会)、2月3日には節分会、12月31日には内護摩供が行われています。
この他に境内では現在も木槿(むくげ)が見られることで知られ、15本ほどが植えられており、7月末~9月下旬の初夏から秋にかけて次々と花を咲かせます。
この点、木槿はインドや中国原産のアオイ科の落葉潅木で、平安時代の少し前に渡来し、灰白色の枝には繊維が多く折れにくいことから、生垣などに利用されてきました。
花は白から薄紅・薄紫、一重から八重の花まであり、「百日花」とも呼ばれ、夏の百日を疲れることない根気強さで咲き続ける一方、「一日花」とも呼ばれるように朝咲いてその日の夕方には萎んでしまいます。
このため唐の詩人白居易は「槿花一日の栄」と詠い、はかない人の世の無常に例えていますし、その儚さから「蓮花(はちす)」とも呼ばれ仏花としても重宝され、また俳句の世界では秋を表す季語にもなっています。