平清盛手植の大楠で有名な開運出世のパワースポット
西大路八条にある神社。平安末期に平清盛が50余りの邸を持ち現在の梅小路公園まで及ぶ広大な別邸・西八条邸を建てた際に鎮守社として紀州熊野権現の若一王子を祀ったのが始まり。
清盛は翌年太政大臣に昇進、現在も開運出世のパワースポットとして人気。門前の清盛手植の大楠がシンボル
若一神社のみどころ (Point in Check)
京都市下京区、「西大路八条」の交差点角に鎮座する平安時代の平家の棟梁・平清盛にゆかりがあることで知られる神社です。
祭神は熊野大権現の第一王子「若一王子」。
社伝によると、奈良時代の光仁天皇の代の772年(宝亀3年)、唐から渡来して天王寺に居住していた威光上人が、迷い人苦しむ人々の救済のため紀州・熊野権現よりその分霊・若一王子の御神体をこの地に勧請したのがはじまりと伝わり、上人が御神体を笈に背負って旅立ち、この地の森の中の古堂で一夜を明かした際に神意を受けこの堂中に安置したといいます。
その後御神体は時代の推移とともに土中に埋もれてしまったといいますが、平安後期の1166年(仁安元年)、この地に別邸「西八条殿(西八条第)」を構えた平清盛が神託を受けて掘り出し、社殿を造って西八条殿の鎮守社としました。
これは清盛が紀州熊野を詣でた際に熊野権現が現れ、「汝が住んでいる西八条殿には、吾が中宮・若一王子の神体が土中に埋まっているので、これを掘り出して鎮守として祀れば、汝の出世を守護しよう」とお告げを受けたことによるものといい、帰京後に邸内を探索すると庭の東方築山より夜光が放たれ、自ら約1m堀り若一王子の御神体を見つけ出したといいます。
そしてそのご利益もあってか、清盛は翌1167年(仁安2年)2月に太政大臣に任ぜられることになり、その後も平家の権勢がますます盛んになったことから、「開運出世」のご利益のある神社として人々から崇敬を受けるようになったといい、現在も出世街道を進みたいと考える多くの人々がこの神社を訪れるといいます。
ちなみに昇進に感謝し清盛が自ら植えたとされているのが、門前にある巨大な御神木の「大楠(クスノキ)」で、現在も神社のシンボル的存在として親しまれています。
この楠は1933年(昭和8年)の西大路通の開通整備の際に撤去されかけましたが、清盛の祟りがあるとして中止となり、西大路通は楠を避けるように少し西側に膨らむ形で開通したというエピソードを持つ霊験あらたかな御神木として有名です。
そして近年はこの大楠の力を感じられるパワースポットでも有名なほか、束帯姿が珍しい平清盛像や「平家物語」の歌碑、そして清盛が高熱に犯された際にその水で体を冷やしたと伝えられ近年復活した名水「神供水」など、清盛ゆかりのスポットが多数あることでも知られています。