5人の女神を祀り女性守護と市場守護で知られる神社
平安京創設直後に官営市場の東市・西市の守護神として創建。祭神すべてが女神で、後に女性守護、特に女人厄除の社として有名に。京都中央市場開設の際にはその守護神として市姫神社を分社化。境内には天之真名井の名水や不要なカードを供養するカード塚も。また平安装束の人間たちがひな壇に並ぶひいなまつりでも有名。
市比賣神社(市比売神社)のみどころ (Point in Check)
五条大橋に近い河原町五条の交差点を南へ少し下がった所に位置し、「いちひめさん」の愛称で親しまれている「女人厄除」で有名な神社。
平安京創建まもない795年(延暦14年)に平安京の官営市場である東市・西市の守護神として創建されたのがはじまり。
そしてその市場で商売をしていたのがほとんどが女性であったことから女性の神が祀られるようになり、それがいつしか「女性守護」の神社になったといいます。
創建当時は現在の西本願寺付近にありましたが、1591年(天正19年)、豊臣秀吉の都市改造計画で、西本願寺が建設されるのを機に現在地へ移転しました。
また現在も市場の守護神としての役割は健在で、分社として「市比賣社」「市姫社」が全国に祀られ、その総本宮として現在でも多くの人々の信仰を集めています。
中でも1927年(昭和2年)には京都に日本初の中央卸売市場が開設された際には分社として「市姫神社」が祀られ、「京都中央市場」の守護神として敷地中央に鎮座しています。
5柱いる祭神はすべてが女神で、全ての女性の願い事にご利益があるといい、古くより歴代皇后の崇敬も篤いことで知られ、特に時の皇后陛下がお受けになられた「女人厄除け祈祷」は有名で、「女人厄除」の神社として全国から女性の参拝者が絶えることはありません。
また境内にある「天之真名井(あめのまない)」の井戸は、歴代天皇誕生の際の産湯に用いられたという名水として知られ、現在も「茶の湯都七名水」に数えられるなど、多くの人が汲みに訪れ、また茶会などにも用いられているといいます。
ちなみにこの水は飲むと心よりの願い事が一つだけ叶う「一願成就の井戸」としても信仰されています。
行事としては人形ではなく平安時代の貴族の格好をした人間がひな壇に並ぶ3月3日の「ひいなまつり」がよく知られていて、五人囃子の雅楽に合わせて三人官女の舞いが披露するほか、平安貴族の優雅な遊びなども再現され、訪れる人々の目を楽しませてくれます。
他にも境内にある「カード塚」にちなみ使い終わったカードを感謝の意を込めて祓い供養する9月9日の「カード感謝祭」が有名なほか、年始から2月15日まで行われている京洛の町中に点在する由緒ある16の古社を年始めに巡拝し朱印を集めていくご利益めぐり「京都十六社朱印めぐり」の札所の一つでもあります。
平安京の官営市場の守護神から「女性守護」の神社に
平安京官営市場である東市・西市の守護神として創建
平安遷都の翌年である795年(延暦14年)、左大臣・藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ 775-826)が第50代・桓武天皇の命により宗像大神を勧請。
京都の官営市場である「東市」・「西市」の守護神として、現在の七条堀川(西本願寺付近)にあった東市座内に創建されました。
平安時代の京の都は東と西に分かれ、双方に官営市場が設けられました。
そしてその市場で商売をしていたのはほとんどが女性であったため女性の神が祀られ、それがいつしか女性守護の神社になったといいます。
金光寺の鎮守
平安中期の承平年間(931-938)には、「市聖(いちのひじり)」と呼ばれ浄土教の先駆者として知られる空也(くうや 903-972)が神託により現在の七条堀川の北西、東市のそばに「市屋道場(いちやどうじょう)」と呼ばれる金光寺(こんこうじ)を創建。
元々は天台宗でしたが、鎌倉時代の1284年(弘安7年)に空也を師と慕う時宗の祖・一遍(1239-1289)が金光寺の境内で「踊り念仏」の興行を行った記録が残っており、この頃に時の住職・作阿が一遍に帰依。時宗市屋派の本山となり、市比賣神社はその鎮守社となったといいます。
現在地への移転
その後は「市姫金光寺」として七条堀川で信仰を集めていましたが、1591年(天正19年)、天下統一を果たした豊臣秀吉の都市改造計画により旧社地には西本願寺が建設されることに伴い、金光寺とともに現在地へ移転しています。
そして明治維新後の1868年(明治元年)に神仏習合の慣習を禁止する「神仏分離令」により金光寺より独立しました。
「京都中央市場」の守護神
1927年(昭和2年)、京都に日本初の中央卸売市場が開設された際には、分社として「市姫神社」が祀られました。
「市姫神社」は現在も丹波口にある「京都中央市場」の守護神として敷地中央に鎮座しています。
5柱の祭神すべてが女神の「女人厄除」の社
市比賣神社には5柱の祭神が祀られていますが、その全てが女神という全国でも珍しい神社です。
そのことから女性の「守護神」とされ、全ての女性の願い事にご利益があるといい、とりわけ「女人厄除」の神社として全国から女性の参拝者が絶えないといいます。
また歴代皇后の崇敬も篤く、現在も「皇后陛下勅願所」であり、時の皇后陛下がお受けになられたという「女人厄除け祈祷」はよく知られています。
ちなみに5柱の祭神のうち「多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)」、神仏習合により弁財天(弁天)と同視されている「市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)」、そして「多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)」の3人の女神は「宗像三女神」といわれる女神たちで、福岡県の「宗像大社」や広島県の「厳島神社」の祭神として知られています。
「金光寺縁起」の中で795年の神社創建の際に「宗像大神」を勧請して「市姫大明神」としたとの記述があることから、この3柱がまず最初に祀らたと考えられているようです。
残りの2柱のうち、「神大市比賣命(かみおおいちひめのみこと)」は山の神で大津・日吉神社や松尾大社の祭神として知られる大山咋神(おおやまくいのかみ)の娘。
そして櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)の次に八坂神社の祭神として知られる素戔嗚尊(すさのおのみこと)の妻となり、その間に生まれた穀物神として知られる大年神(おおとしがみ)と同じく穀物神で稲荷神として知られる宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の母でもあります。
「神大市」の名のとおり、「市」の神として、市場の守護神、あるいは商売繁盛の神としても信仰されています。
最後の「下光比賣命(したてるひめのみこと)」は大国さんとして知られる出雲大社の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)と宗像三女神の1柱・多紀理比賣命の間に生まれた娘。
味耜高彦根(あぢすきたかひこね)の妹で、返し矢の説話で落命し兄とそっくりだったという天若日子(あめのわかひこ)の妻となった女神です。
「お食べ初め」発祥の地
「お食べ初め(おたべぞめ)」とは、乳歯が生え始める生後100日目の赤ちゃんに「一生食べることに困らないように」という願いを込め、食事をする真似をさせる伝統的な儀式。
「お食い初め(おくいぞめ)」、初めて魚を食べるので「真魚始め(まなはじめ)」、あるいは初めて箸を使うので「箸揃え」「箸初め」ともいいます。
一汁三菜の「祝い膳」が用意され、鯛などの尾頭つきの魚や赤飯、吸う力が強くなるように「吸い物」などを準備します。
また漆器は男児は内外ともに朱色、女児は外が黒色で内が朱色のものが用意され、他にも歯が丈夫にとの考えから「歯固め石」、折れにくく邪気を祓うといわれる「柳箸(やなぎばし)」などを準備します。
この点、「お食べ初め(おたべぞめ)」は平安時代、宮中や公家の間で行われていた「五十日百日之祝(いかもものいわい)」が庶民の間に伝わり、今の形になっていったといわれています。
「五十日百日之祝儀」とは生後50日、あるいは100日目の赤ちゃんの口に「五十日之餅(いかのもち)」あるいは「百日之餅(ももかのもち)」を含ませ、健やかな成長を願う儀式。
古くは平清盛の孫にあたる言仁親王(のちの第81代・安徳天皇)もこの儀式を行ったといい、また「源氏物語」などの多くの古典文学にもその様子が描かれています。
そしてこの際に使われる餅は、平安時代に皇室や公家の崇敬が篤かった市比賣神社のご神水「天真名井」の水でつき上げられたものが用いられたことから、「お食べ初め」の発祥の地は市比賣神社だといわれています。
皇室の産湯にも使われた一願成就の名水「天之真名井」
境内本殿の左奥へ進むと、本殿のすぐ横に「天之真名井(あめのまない)」と呼ばれる井戸があります。
「茶の湯都七名水」に数えられる名水として知られ、現在も多くの人が水を汲みに訪れ、また茶会や花展・書画展などにも用いられているといいます。
また絵馬を掛け、神水を飲んで手を合わせると、心よりの願い事が一つだけ叶うという「一願成就の井戸」として信仰されています。
そして社伝によると平安時代から鎌倉時代、第56・清和天皇から第82代・後鳥羽天皇まで27代にわたって、歴代天皇の誕生の際の産湯に用いられたと伝わっています。
市比賣神社(市比売神社)の施設案内
アクセス
鴨川にかかる「五条大橋」の西詰から五条通を少し西へ進むと、すぐに「河原町五条」の交差点に出ます。
そして交差点を左折し南へ約200mほど進むと、最初の四差路の右手に「女人厄除 市比賣神社」という看板が見えるので、そこを右折するとすぐ左手に神社への入口があります。
最寄駅としては五条大橋の東詰、川端通と五条通の交差点に京阪「清水五条駅」があり、徒歩約5分でアクセスできます。
また五条通と烏丸通の「烏丸五条」交差点にある地下鉄烏丸線「五条駅」からも徒歩圏内で、五条通を東に進んで約10分ほどです。
更にJR・地下鉄・近鉄「京都駅」からも徒歩15分程度でアクセスが可能で、駅前の塩小路通か、七条通あたりで駅から東へ進んで河原町通に出て、河原町通を北上していくのが分かり易いルートです。
境内
入口部分には「リリジョンいちひめ」という白壁のマンションがそびえ建っており、その1階部分が入口となっています。
石標や看板、朱塗りの柱などに神社の名前がしっかり表記されているので見落とすことはないかと思います。
入口のすぐ右手に「御祈祷・おまもり受付」の入口がありますが、入らずに朱塗りの楼門をくぐっていくと、奥が境内となっています。
境内は面積は広くはありませんが、正面に鳥居と本殿、本殿の右に社務所、左に祈祷殿があり、更に本殿の左奥の鳥居の先に摂社・植松稲荷と衆霊殿の社、そして天之真名井の名水があります。
カード塚は祈祷殿の入口手前左の角にあり、手水は本殿前にある鳥居の左側にあります。
周辺
西隣にある「金光寺」は明治期の神仏分離令まで市比賣神社が鎮守をしていた寺院です。
そして河原町五条の南西側には数多くの寺院が集中している地域で、市比賣神社の周辺を散策すると、いくつものお寺に遭遇することができます。
また河原町通を南へ歩いていくと、西側に東本願寺の飛び地境内で四季の草花が綺麗な「渉成園(枳殻邸)」の広大な境内があります。
境内
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道標
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入口
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御祈祷・お守り受付
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楼門
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奉納提灯
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社務所
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手水舎「瀞」(すがすがしい)
「瀞(すがすがしい)」とは「清」と「浄」の文字が組み合わさった文字で、「自分の心をすがすがしくしなさい」という意味を表しているという。
傍らには千両の木が植えられている
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鳥居
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本殿
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祈祷殿
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カード塚
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鳥居
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摂社・植松稲荷社
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衆霊殿
大国主命、花山天皇、恵毘須・大黒、護国英霊、社家祖霊、崇敬者祖霊
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願掛け絵馬
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天之真名井
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姫みくじ
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