京都市下京区東中筋通正面下ル紅葉町・同区油小路通正面下る玉本町、西本願寺から堀川通を挟んで東側にある正面通入口の西本願寺総門をくぐった先、仏具屋などが建ち並ぶ門前町を少し進んだ所にあるレンガ造りの近代的建築物。
1912年(明治45年)、東京帝国大学教授・伊東忠太(いとうちゅうた 1867-1954)の設計、竹中工務店の施工により建築。
伊東忠太は山形県米沢市出身の建築家・建築学者で、日本の古建築や中国・インドの遺跡を調査し、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史学を樹立。
また国宝保存会委員として文化財の保存にも尽力したほか、東京の築地本願寺や明治神宮、京都の平安神宮などの有名な寺社仏閣の建築物の設計を手がけたことでも知られています。
1908年(明治41年)には「日本建築も建材に石材や鉄材を使用し、その建築様式は欧化でも和洋折衷でもなく、木造の伝統を進化させることにより生み出さなければいけない」という「建築進化論」を提唱し、日本の建築界に大きな影響を与えました。
当建造物はこの「建築進化論」の考え方を明確に表現した初期の代表的な作品で、レンガ造りの2階建にヴィクトリア朝風のレンガ造りのドームという外観は古典様式基づくものの、細部にインド風の意匠やイスラムの建築様式であるサラセン洋式、日本の伝統的な洋式が用いられていて、日本とインドなどのアジア、および西洋が三位一体となった形となっています。
そして当初は「本館」のほか「付属室」「倉庫」の2棟、「物置、人力車置場、便所」「屋根付伝ひ廊下」が建っていたといいますが、現在は「本館」のみが残されていますが、建設当時の外観や間取り等にほとんど変化はなく、創建当時の姿が維持保全されているといい、日本の近代建築の発展を知る上でも貴重な史料であるとして、1988年(昭和63年)5月2日に「京都市指定文化財」に指定。
その後、2011年(平成23年)、宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要を機に修復工事が行われた後、2014年(平成26年)には「国の重要文化財」にも指定されています。
元々は1895年(明治28年)4月に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋として使用されていましたが、その後は時代ともに銀行、京福電鉄の事務所、浄土真宗本願寺派布教研究所、1958年(昭和33年)から1973年(昭和48年)までは貧者施療を目的として設立された「あそか診療所」と用途を変え、1973年(昭和48年)から「本願寺伝道院」となり、現在は僧侶の教化育成の道場として使われているそうです。
そのため内部は通常は非公開ですが、シンボルとなるドーム屋根やレンガ造りの建物などの外観だけでも十分に見学に値するほか玄関前の車止めの石柱に掘られた妖怪・怪獣風の石像なども見どころで、建築ファンからひそかに人気を集めているほか、過去には「京都国際映画祭」や「和食の祭典」など、本願寺にてイベントが開催された際に会場として使用され、内部が一般公開されることもあるようです。