宇治七名水

「宇治七名水」とは?

現在もお茶の名産地として全国的に有名な宇治ですが、そのはじまりは鎌倉初期、栄西が宋から持ち帰った茶の種子を明恵上人が世界遺産・高山寺のある栂尾の深瀬に播き育てたものを、茶の普及のために宇治にも移植したことによります。

室町時代に入ると第3代将軍・足利義満は宇治茶の栽培を奨励し、特に優れているとして7つの茶園を御用茶園に指定。それらは後に「宇治七名園」と呼ばれ、「森、祝、宇文字、川下、奥ノ山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」と和歌にも詠まれるほどに名を馳せました(ただし、現在残っているのは堀井七茗園が管理している「奥ノ山茶園」のみ)。

一方お茶の栽培には欠かせない水も宇治には豊富に湧き出しており、特に有名なものは「宇治七名水」と呼ばれましたが、これらの多くは現在は既に失われてしまっており、現存するのは世界遺産の宇治上神社の境内にある「桐原水」のみとなっています。

名水一覧

名水名 スポット名 エリア ポイント
宇治上神社 桐原水
(きりはらすい)
宇治上神社 宇治 宇治七名水の一つで唯一現存
社殿の背後の大吉山から流れ出る水が拝殿横の手水舎に注いでいる
NO IMAGE 泉殿
(いずみどの)
ユニチカ宇治工場 宇治 JR宇治駅の北、ユニチカ宇治工場の南側にある入口の左脇に石碑
平等院 阿弥陀水
(あみだすい)
平等院 宇治 鳳凰堂の南翼廊の南側の反橋の近くに石碑と後世に造られた小さな井戸がある
法華水とともに明治初期には失われたという
平等院 法華水
(ほっけすい)
平等院 宇治 阿弥陀水とともに明治初期には失われたといい、その場所も鳳凰堂西側にある塔頭・浄土院の北側と伝わるものの石碑もなかった
しかし2011年(平成23年)に境内の浄土院の檀家女性の寄付により推定地に井戸が掘られて名水が再現された
NO IMAGE 高浄水
(こうじょうすい)
宇治 泉殿の石碑の近く、宇治市若森の路地の奥に石碑
橋姫神社 公文水
(くもんすい)
橋姫神社 宇治 入口の左脇に石碑
宇治橋通商店街 百夜月井
(ももよづきい)
宇治橋通商店街 宇治 JR宇治駅の南西、宇治橋通り商店街の西端、都市計画道路の交わる交差点の角にある宇治石油新町給油所の北隣の建物との境界線に石碑(宇治神社御旅所のすぐそば)

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