「宇治七名水」とは?
現在もお茶の名産地として全国的に有名な宇治ですが、そのはじまりは鎌倉初期、栄西が宋から持ち帰った茶の種子を明恵上人が世界遺産・高山寺のある栂尾の深瀬に播き育てたものを、茶の普及のために宇治にも移植したことによります。
室町時代に入ると第3代将軍・足利義満は宇治茶の栽培を奨励し、特に優れているとして7つの茶園を御用茶園に指定。それらは後に「宇治七名園」と呼ばれ、「森、祝、宇文字、川下、奥ノ山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」と和歌にも詠まれるほどに名を馳せました(ただし、現在残っているのは堀井七茗園が管理している「奥ノ山茶園」のみ)。
一方お茶の栽培には欠かせない水も宇治には豊富に湧き出しており、特に有名なものは「宇治七名水」と呼ばれましたが、これらの多くは現在は既に失われてしまっており、現存するのは世界遺産の宇治上神社の境内にある「桐原水」のみとなっています。