京都府京丹後市峰山町鱒留蛭子堂、峰山町西部の国道312号から南へ約2km入った所、日本最古、羽衣伝説発祥の地とされる磯砂山の麓に鎮座する神社。
この点、京丹後市峰山地域には、古くから語り継がれる二つの羽衣伝説があることで知られています。
まず1つ目は、羽衣を隠された天女が老夫婦の娘となり、酒造で里が豊かになるという話で、「丹後風土記」に記述のある文字として残された日本最古の羽衣伝説で、謡曲「羽衣」はこの丹後のお話をもとにして作られたといわれています。
そしてそれとは別にもう1つこの地元に伝わっているのが、天女と狩人・三右衛門(さんねも)によるエピソードです。
昔、比治(ひじ)の里に三右衛門という狩人が住んでいて、ある日、磯砂山(いさなご山)の頂の池で水浴びをする8人の天女を見かけ、その羽衣の一つを隠したといいます。
羽衣を隠された天女は天に帰ることを諦めて三右衛門の妻となり、二人の間には三人の美しい娘が誕生、また天女は農業や養蚕、機織りや酒造りが上手で家はもとより比治の里はたいそう豊かになったといいます。
しかし天恋しさに堪え切れなくなった天女は三右衛門の留守中に隠された羽衣を見つけ出し、「七日七日に会いましょう」と再会を約して大空へと舞い上がっていったといいます。
その際に当初は7日ごとに会うという約束をしようとしたところが、天邪鬼が狩人には7月7日に会おうと伝えたため、年に1度しか会えなくなったという、牽牛と織姫のお話、すなわち七夕祭とも結びつく話で、娘を残して天に帰ってしまった天女は毎年7月7日の夜に星となって三右衛門と三人の娘に会いにやってくるそうです。
当社の詳しい創建の経緯は不明ですが、その「天女の羽衣伝説」ゆかりの神社であり、天女のもうけた3人の娘の一人である豊宇賀能賣神(とようけびめのかみ)を祭神として祀っており、お参りすると美女が授かるといわれています。
そして現在は静御前や小野小町、細川ガラシャや乙姫など、京丹後に語り継がれる7人の美女にまつわる伝説の地をめぐる「京丹後七姫めぐり」の一つとしても知られています。
また天女が舞い降りたとされる「磯砂山(いさなごさん)」は標高661mの山で、天女が水浴びをしたという「女池」が中腹にあるほか、羽衣天女のモニュメントのある頂上からは大江山や天橋立まで見渡せるといいます。
また山の麓、神社の向かいにある自然体験施設「天女の里」はキャンプサイトやロッジ、研修施設などを備えるとともに鱒釣り体験などもでき、子供や家族連れで楽しいひと時を過ごすことができます。
秋は門前の天女の里とともに紅葉の名所で、神社周辺には35本、天女の里のもみじの森には100本以上の楓が植えられており、11月中旬には「もみじ祭り」も開催されるといいます。