京都府京丹後市網野町浅茂川日吉山、網野町市街地を南から北の日本海へと流れる福田川の河口付近の高台に鎮座し、網野町市街地の北西に位置する浅茂川村(現在の網野町浅茂川地区)の氏神として信仰を集める神社。
詳しい創建の経緯は不明で、江戸時代は「山王大権現(さんのうだいごんげん)」と称していたといいますが、1873年(明治6年)に「日吉神社」と改められ、祭神として滋賀県大津市坂本にある全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社・日吉大社の祭神である大山咋命(おおやまぐいのみこと)を祀る神社となっています。
現在の本殿は江戸後期の1827年(文政10年)の再建で、一間社入母屋造妻入で、正面に軒唐破風の向拝(こうはい)が付けられ、江戸後期以降に丹波・丹後地域で活躍した彫物師・中井の第6代・権次正貞の作による多くの彫刻によって華やかに装飾されており、江戸後期の丹後地域を代表する建造物であるとして1993年(平成5年)に京都府の登録文化財に登録されています。
そして毎年7月30日に開催される境内社の一つである「水無月神社」の祭典で、網野地区最大の夏祭りとして有名な「水無月祭」が行われることで知られています。
神輿の渡御を中心とする祭りで、昼過ぎに神社を出発した神輿は約60名の担ぎ手たちの手により約2時間かけて地区内を巡行し、その後、八丁浜(浅茂川海水浴場)の海岸で一番の見どころとなる「海上渡御」が行われ、担ぎ手たちは神輿を担いだまま海に入り海上に設けられた祠を3周、最後はこの地方に伝わる浦島太郎伝説にちなんで浦島太郎と竜宮上の姫を乗せた「亀みこし」が海に入りクライマックスを迎えます。
元々は浅茂川地区が日本海へと注ぐ福田川と呼ばれる大きな川の河口にあることから、海から漂着する物や川の上流から流れ着く物を村民たちが年に1度大掃除し、その慰労の宴が祭りと化したといわれていて、上流から流れ込むものの中には穢れたものや不浄なものもあったことから、神輿を海中に入れて海を清めるという意味が込められているといいます。
そして河口、すなわち川の裾で行われる祭りであることから別名「川裾祭」とも呼ばれ、それが崩れて「かわっそ祭」「かわっそさん」などと呼ばれて地元では親しまれているといいます。
また同日の夜には約2000発の花火が打ち上げられる「八丁浜シーサイドパーク花火大会」も開催され、露店も出て大勢の参拝客・見物客で賑わうといいます。