京都府京丹後市網野町網野、丹鉄網野駅の1kmほど北に鎮座する神社。
第9代・開化天皇の御子神で「古事記」において勅命により丹波国に派遣されて上蜘蛛の首領「玖賀耳之御笠」を誅し、その後丹後地方にとどまり国造りをしたと伝わる「日子坐王(ひこいますのみこ)」、大阪・住吉大社より分霊を受け海の神・交通安全の神として祀られている「住吉大神(すみよしおおかみ)」、そして浦島太郎のモデルとなったとされる浦島伝説ゆかりの「水江浦嶋子神(みずのえのうらしまこのかみ)」の3柱を祀る神社です。
その創建の経緯は不明ですが、平安中期927年(延長5年)にまとめられた当時官社に指定されていた全国の神社一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」の中に記載のある延喜式内社であるため、創建はそれよりも前の10世紀以前とみられています。
そして元々は3箇所に鎮座されていたものを、砂に埋もれそうになったことから、室町時代の1452年(享徳元年)9月に現在の社地に合併奉遷されたと伝えられていて、元宮は銚子山古墳に近い宮山にあったといわれています。
現在の「本殿」は1922年(大正11年)に再建されたもので、「拝殿」は本殿と同じ時期に建てられた後、1927年(昭和2年)の丹後大震災の被災により、1929年(昭和4年)に再建されたものです。
また境内の「蠶織神社(こおりじんじゃ)」は1925年(大正14年)4月に地元のちりめんと養蚕の関係者が宮中紅葉山の養蚕神と京都・今宮神社にある織物神の分霊を勧請して祀ったもので、社殿は1782年(天明2年)に建造された元の本社の社殿が用いられているといい、毎年4月には「祈願祭(京丹後ちりめん祭)」が執り行われ、丹後ちりめんが奉納が行われています。
社殿は2007年(平成19年)から2008年(平成20年)にかけて蠶織神社とともに「平成の大改修」が行われ、その後2009年(平成21年)8月に本殿をはじめ拝殿、渡廊、神饌所、透塀、手水舎、石鳥居、蠶織神社社殿の計8棟の建築物が「国の有形登録文化財」に選定されています。
行事としては毎年秋の体育の日に神輿渡御が行われる「例祭」をはじめ、毎年夏の「愛宕神社例祭」では近年復活した迫力ある火祭り「マンドリ神事」、6月30日の茅の輪くぐりも行われる「夏越の大祓」などが知られています。