丹波の名庭・含勝庭など3つの枯山水の庭園で知られる
臨済宗妙心寺派。山家地区にある寺院。1445年山家城主・和久氏の菩提寺として創建、江戸時代に山家藩主・谷氏の庇護を受け現在地に移転。
含勝庭、生々苑、真観庭の3つの異なる枯山水の庭園で知られ、中でも含勝庭は築山林泉式の枯山水庭園で亀岡市の穴太寺と並ぶ丹波の名庭といわれ国の名勝にも指定
照福寺のみどころ (Point in Check)
京都府綾部市鷹栖町小丸山、JR山家駅より由良川を挟んで北西の山家地区、東綾小学校の隣にある臨済宗妙心寺派の寺院。
山号は南泉山(なんせんざん)、本尊は釈迦牟尼仏。
室町時代の1445年(文安2年)、万山全重を開山に当時の山家城主・和久氏の菩提寺として創建。
元々は和久氏の居城であった甲ヶ峰城の出郭、現在地よりやや東の広瀬町城山の甲が峯にありましたが、戦国時代の1580年(天正8年)、丹波平定を目指した明智光秀が発令した城破却命令に従わなかったため、討伐を受けて和久氏は断絶となり、照福寺も東山町に移転することとなります。
その後、江戸初期の1662年(寛文2年)に山家藩3代藩主・谷衛廣の庇護を受けて鷹栖町に寺領を与えられ現在に至っています。
境内には「含勝庭」「生々苑」「真観庭」の3種類の庭園があり、このうち本堂および書院の北側にある「含勝庭(がんしょうてい)」は江戸後期の1843年(天保14年)に当時の住職であった12世・仙裔(せんえい)により地元産の自然石を多く用いて作庭されたもので、寺に伝わる「含勝堂仮山記」という園記に作者および作庭年代がはっきり記されており、また作庭当初の姿を完全に保ち江戸後期の枯山水庭園の遺構として貴重なことから、1970年(昭和45年)に「照福寺庭園」として国指定の名勝に指定され、亀岡の穴太寺とともに丹波を代表する名園として知られています。
その他の見どころとしては、1967年(昭和42年)に中根金作により作庭された枯山水庭園の「生々苑」や、1976年(昭和51年)に再建された本堂の天井に描かれた龍の絵などがあり、また本堂からの眺めも実に見事です。