京都府船井郡京丹波町口八田宮ノ本、京都市の北に位置する京丹波町の南部、南丹市園部町から国道9号線の観音峠を越えてすぐの所にある口八田地区に鎮座する神社。
祭神は素盞鳴尊の御子とも伝わる神である一言主命(ひとことぬしのみこと)。
平安初期の859年(貞観元年)3月7日、高岡平松の地に鎮座したのがはじまりで、その後南北朝時代の1370年(応安3年)12月7日に現在地に遷座されました。
現在のこけら葺き一間社流造の「本殿」は江戸中期の1702年(元禄15年)6月に改修の儀が起こり、翌16年に播州の大工の手により再建されたもので、築後300年を経過しているにも関わらず建立年代と大工名が判明しており、丹波地区を代表する建築の一つです。
その他にも境内には寛保2年(1742年)、延享5年(1748年)、明和9年(1772年)に寄進された石灯籠や、寛保2年(1742年)に寄進された石造りの手洗いがあり、また山を隔てて南丹市園部町に鎮座する摩気神社に近いこともあり、古くら関係が深かったことを示す史実が多く残されているといいます。
行事としては毎年秋に五穀豊穣に感謝するとともに村の安泰を祈願して開催される「秋の大祭(秋祭り)」が有名。
古くは「八朔祭」と称し暦の8月1日(新暦の10月1日)に祭礼が行われていましたが、大正末期から10月7日に、そして現在は10月の三連休の日曜日に斎行されています。
午前中に祭典が行われた後、15時頃から氏子である口八田地域と高岡地域の6地区、辻村区・中畑区の2基の「太鼓山」、そして笹尾区の「囃山」、中村区の「作り山」、下村区の「舟山」、鎌倉区の「御殿山」の4基の曵山が各村を出発し、神社に向かって町内を巡行した後、17時に鳥居前に集結。
御祓を受けた後、各山に吊された赤い提灯に一斉に火が灯されると、村毎に異なる揃いの法被を身に纏った大勢の氏子たちの手により、太鼓や笛の音に合わせて賑やかに境内を約20分間練り込む光景は勇壮です。
この巡行の起源は明らかではありませんが、明治中期の1889年(明治22年)頃と伝えられていて、神社にまつわる慶事を祝って、戦時中と大きな天災の年を除き120年余り続けられていて、1999年(平成11年)2月17日には「葛城神社曳山巡行」として「京丹波町指定無形民俗文化財」に指定されています。