京都府南丹市美山町田歌建岩、茅葺き屋根の民家が数多く残り、古き良き里山の日本の原風景が残る「かやぶきの里」から府道38号線を東へ約7km程行った先の知井12か村の一つである田歌(とうた)と呼ばれる30戸ほどの小さな集落に鎮座する神社で、美山町田歌の氏神。
江戸初期の1640年(寛永17年)、田歌地区にある洞雲寺(とううんじ)の光悦(こうえつ)が勧請したと伝わります。
祭神は祇園にある八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一視されている牛頭天王(ごずてんのう)とされています。
府道沿いを流れる由良川の河畔にせり出す大岩の上が境内で、立派な杉の木立に覆われた境内から美山川のせせらぎを見下ろす眺めは実に美しく、落ち着いた雰囲気の漂う神社です。
そして境内も社殿も決して大きくはありませんが、毎年7月14日に開催される「田歌の神楽」は有名な京都・八坂神社の祭典と同じ「祇園祭」とも呼ばれ、地元民のみならず全国から多くの見物客がこの小さな集落に押し寄せ、多くの人たちで賑わいます。
五穀豊穣や子孫繁栄を願って360年以上もの間、地元の人たちによって受け継がれてきた歴史ある伝統芸能で、集落では「田歌の祇園さん」として親しまれ、京都府無形民俗文化財にも登録されています。
祭は毎年持ち回りで決められるという「宿」にて装束を身に着けてからスタートし、まず最初は般若の面をつけ割竹で道を祓う鬼(やせ)役の子どもを先頭に天狗、神職、草・蕾・花の3人の奴(やっこ)、火男(ひょっとこ)、お多福、樽負い爺、太鼓屋台の神楽堂、笛、お供の順で続く行列が八坂神社までを練り歩きます。
行列は途中で何度か歩みを止め、若者が扮する白塗りでふんどし姿の3人の奴(やっこ)が太鼓や笛のお囃子に合わせて「やとーせー、やとーなー」という掛け声とともにユーモラスな仕草をする奴振りで観客を楽しませます。
八坂神社に到着後、神事の後には神前にて太鼓打ちを中心とした神楽の奉納へと移り、太鼓屋台である神楽堂を正面に据えて「かぐら」「さんぎり」「にぎまくら」を披露し、太鼓の腕自慢やひょっとことお多福の掛け合いや一風変わった風貌の面を被った翁との絡みなど、ひょうきんな演技で人々を楽しませます。
この点、集落の名となっている「田歌(とうた)」とは、この神楽において足を踏ん張って力強く太鼓を奉納することから「踏歌(とうか)」や「踏田(田楽)舞い」などが由来といわれているそうです。