京都府木津川市加茂町銭司美ノ畑、周囲を茶畑や緑に囲まれた国道163号線沿いにある真言宗醍醐派の寺院。
正式名称は光明山聖法院(こうみょうざんしょうほういん)ですが、「銭司聖天(ぜずしょうてん)」の通称で知られています。
1983年(昭和58年)に尼僧・宮野英順(みやのえいじゅん)が霊告を受けて京都の醍醐寺にて得度し、伝法灌頂を受けて大阪府八尾市に開基したのがはじまり。
その後、篤信者の協力によって現在地に本堂や諸堂が造営され、全部で24の神仏が祀られているといいます。
本尊は大日如来坐像・釈迦如来・阿弥陀如来の如来三尊ですが、その名の通り「銭司聖天=金銭を司る聖天様」を祀っていることで有名。
この点「銭司(ぜず)」という地名は、708年(慶雲5年)に武蔵国から銅が産出したのを受けて年号が「和銅」と改められ、日本最初の広域流通通貨である「和同開珎(わどうかいちん)」が鋳造されていますが、その後、都として栄えた奈良に近く、木津川の水運の利用も可能なこの地に現在の造幣局にあたる「鋳銭司(ちゅうせんし)」が設けられて貨幣が鋳造されていたことから、そのように呼ばれたといわれています。
ちなみに「聖天」とはは仏教の守護神である天部(毘沙門天・帝釈天・吉祥天などの天界に住む神々の総称)の一つである「歓喜天」の別名で、正式には「大聖歓喜大自在天(だいしょうかんぎだいじざいてん)」。
原型は古代インド神話において最高神・シヴァ神の息子で象を神格した「ガネーシャ神」と言われ、ガネーシャ神は元々は障害を司る神で人々の事業を妨害する魔王として恐れられる存在でしたが、やがて障害を除いて幸福をもたらす神として広く信仰されるようになりました。
ヒンドゥー教から仏教に取り入れられる際にも悪神が十一面観世音菩薩によって善神に改心し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神となり、日本各地の寺院で祀られるようになりました。
象頭人身(頭が象で体は人間)の姿で単身像と双身像があり、このうち双身像は男天と女天が相抱擁している姿で、夫婦和合・安産・子授けの神様として信仰されています。
そしてそんな聖天さんのシンボルとなっており、聖天を祀る寺院の境内で意匠としてよく見かけるのが「巾着袋」と「大根」ですが、大根は夫婦和合や縁結び、巾着は砂金袋(宝袋)で商売繁盛のご利益を現わしているといいます。
またその姿を見ると良くないことが起きるという言い伝えもあり、一般的にはその姿は簡単に見ることが出来ないよう多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは多くないといいます。
そして「百味供養」といわれるようにたくさんの供物をささげると多くのご利益が得られるともいわれ、平時より供物は欠かさず、また御縁日である毎月1日と16日には特別な供物が供えられるといいます。
中でも歓喜天の好物として有名なのが聖天さんのシンボルとして知られる「大根」であり、また仏教と共に遣唐使が中国から伝えて以来千年の昔より形を変えずに伝えられているという「歓喜団(かんきてん)」というお菓子だといいます。
なお歓喜天が祀られている寺院は「○○聖天」と通称されることが多く、京都府内では銭司聖天の他にも京都市上京区の雨宝院(西陣聖天)、京都市東山区の香雪院(東山聖天)、京都市山科区の双林院(山科聖天)、乙訓郡大山崎町の観音寺(山崎聖天)があります。
この点、境内の「聖天堂」に祀られている「銭司聖天」は鋳銭司であった地にあることからとりわけ「金銭に縁を頂ける」といわれ、、七代の財を一代に集めるほど「金運向上」に対して御利益があるといいます。
また聖天堂の前には120cmの大きさがある巨大な和同開珎に金箔を貼って金運向上を祈願する「和同開珎の碑」のほか、大きな大根のオブジェに浄財を納めて願い事を書く「大根祈願」などもあるほか、授与品としては財布にも入る金運向上の「福銭」が人気を集めているといいます。