信長の甥・十界因果居士が仏道修行を行ったと伝わる滝
京北細野町の細野川支流、国道162号笠トンネル北の山間にある。
織田信長の甥十界因果居士が一時隠れ住んだ場所で滝に打たれ仏道修行を行ったのが名の由来。
高さ25mの絶壁から3段に分かれ落ちる姿は壮観で京都の自然二百選や京北十景にも選定。
ツツジ、新緑、紅葉、雪景色が四季ごとに様々な滝を演出
滝又の滝(滝又滝)のみどころ (Point in Check)
京都市右京区京北細野町、北山杉と清流の里・細野地区の細野川支流、国道162号(周山街道)の笠トンネルをくぐり、京北トンネルの手前の分岐を右折し北へ進んだ山間、轟谷の標高450mに位置する滝。
1579年(天正7年)、天下平定を目指す織田信長の命により、安土城下の浄厳院にて浄土宗と当時権威を振るっていた日蓮宗の僧との間で宗論を戦わせる「安土問答(安土宗論)」が行われました。
この時に判者として日蓮宗の僧と対決した高僧の一人が織田信長の甥・十界因果居士(いんがこじ 1525-?)で、問答は信長の内意を受けて有利な判定を受けたともいわれている浄土宗側が勝利し敗れた法華宗は処罰者を出すとともに、以後は他宗への法論を行わないことを誓わされましたが、その後1582年(天正10年)に「本能寺の変」が起き信長が亡くなると情勢は一変。
日蓮宗の仕返しを恐れた因果居士は細野の地に落ちのび、滝又滝の上に洞窟を掘って一時隠れ住んだといい、滝に打たれ仏道修行を行ったのがその名前の由来といわれています。
京都市内でも有数の名滝で、高さ25mの絶壁から3段に分かれ落ちる姿は壮観で「京都の自然二百選」や「京北十景」にも選定。
春はツツジ、初夏の木々の新緑、秋の紅葉、冬のつららの雪景色と四季ごとに様々な顔の滝が演出され、四季が織りなす景観美と自然が生み出す静と動の美を肌で感じることができ、地域の人々にも親しまれています。
また近年には滝に至る手前の山道に京都の篤志家によるものだという数多くの石仏が設置され、「滝又の石仏」として石仏めぐりができるように整備されて新たな見どころとなっています。