京都府京都市左京区久多中の町、京都市最北端の久多地区に鎮座する神社。
旧社格は村社。
「久多」地区は京都市の最北端、鞍馬・貴船を北に進んだ花背地区を更に北へと進んだ左京区の北部に位置し、久多川沿いに東に下れば滋賀県大津市葛川、西に進むと能見峠を経て広河原という滋賀県との県境に位置しています。
四方を標高800~900mの山々に囲まれた一帯は古くから林業が盛んで材木の供給源として栄え、平安期の1064年(康平7年)には藤原道長が建てた法成寺の所領であったといい、江戸時代は朽木藩の所領でしたが、明治期に入り京都府の管轄となり愛宕郡久多村、その後1949年(昭和24年)に京都市左京区に編入されました。
現在は茅葺き民家の点在する上の町・中の町・下の町・宮の町・川合町の5つの地区で構成された人口約100人ほどの山間の集落で、高齢化に伴う過疎化が進んでいる地域ですが、アウトドアブームや自然志向に伴いキャンプ場や農園が整備され、親子での自然体験や市内からの定住者なども増えているといいます。
また古くからの習俗や儀礼は大切に受け継がれているといい、後述する志古淵神社に伝わる「花笠踊」や、農作物の豊かな実りへの感謝および火の神「愛宕神社」への火魔封じを祈願して献灯が行われる「松上げ」などで知られています。
そして「志古淵神社」はその左京区久多地区の産土神の一つで、地元では「しこぶちさん」と呼ばれて親しまれています。
この点、祭神である「志古淵神」は琵琶湖に注ぐ安曇川の流域一帯で地主神として祀られており、志古淵神社もその「七シコブチ」の一社であるといいます。
安曇川流域で切り出された木材は川を使い「筏流し(いかだながし)」で琵琶湖まで運び、その後京都や奈良へと運ばれましたが、流域には急流や突出した巨岩なども多かったことから、河川に棲む魔物「ガワタロウ(河童)」が襲うとされ運搬は命がけだったといい、そんな筏乗りの守護神として祀られたのが志古淵神であったといいます。
創建の経緯・由緒は明確ではないものの、当社所蔵の棟札には、鎌倉時代の天福年間(1222-34)には既に社殿を構えていた記録が残っており、その後1445年(文安2年)に大修復が行われたものの、長年の風雨によって社殿が破損したため、江戸初期の1672年(寛文12年)に新たに造営されたのが現在の本殿です。
三間社流造で屋根は杉皮葺(当初はこけら葺)、近世の造営ではあるものの、蟇股などの様式に古い形態を残している点に特色が見られ、1984年(昭和59年)6月1日に「京都市指定有形文化財」に指定されています。
境内にはその他に拝殿、社務所などが建ち、これらの建造物と石垣、その周辺に茂る樹木が一体となって優れた境内景観を形成しており、境内全体が「京都市文化財環境保全地区」に指定されています。
また毎年8月24日に奉納される「花笠踊」は、久多地区に伝わる民族芸能で、「花笠」と呼ばれる造花で飾った燈籠を持った人たちが、念仏風の文言を唱え、太鼓や鉦に合わせて花笠をゆすって歌い踊る、室町時代から続く風流踊の一種。
「久多の花笠踊」として1997年(平成9年)12月15日に「国の重要無形民俗文化財」に指定されており、当日の夜に当社の鳥居と拝殿の間の広場のほか、神社北側にある大川神社と上の宮神社の3社で奉納されます。