京都府久世郡久御山町田井荒見、京都市の南に位置する久御山町の久御山町役場の東、久御山田井交差点より国道1号線を北へ約300mほど進んだ左手に鎮座する荒見神社の近くにある浄土宗寺院。
山号は功徳山、本尊は阿弥陀如来立像。
平安初期の824年(弘仁15年/天長元年)、弘法大師空海により真言宗寺院として創建されたと伝えられていて、その後、江戸初期の1624年(元和10年/寛永元年)の大洪水で流失した後、1625年(寛永2年)に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院として再建されています。
現在の本堂は1995年(平成7年)に新築されたもので、入母屋造、書院を併設した50坪余りの建物で、水害に負けないため基礎を高くして建てられたという久御山町の家屋の特徴がよく表れており、堂内には金色に輝く本尊・阿弥陀如来立像が安置されています。
また同寺は大正ロマンを代表する画家で数多くの美人画を残した竹久夢二(たけひさゆめじ 1884-1934)が昭和の初めに滞在し、庫裏を画室として絵筆を振るったことで知られていて、門前には「竹久夢二旧跡」の石標も建てられています。
夢二は岡山県の出身で、詩や歌謡、童話などを創作し、中でも「宵待草(よいまちぐさ)」は曲が付けられて大衆歌とし全国的な愛唱歌となったほか、多くの書籍の装幀や広告宣伝物、日用雑貨などのデザインも手がけ、日本の近代グラフィック・デザインの草分けの一人です。
しかしもっとも有名なのは画家としての活躍で、1909年(明治42年)の画集「春の川」を皮切りに数多くの美人画の挿絵を描いて一世を風靡し、その抒情的な作品は「夢二式美人」とも呼ばれ、多くの人々の心を惹き付けました。
夢二は円福寺第21世住職・釜屋了貫と神奈川県厨子で知り合い、了貫の修行時代を含めて古くから家族的な交友をしていた間柄で、了貫を頼って1916年(大正5年)から1928年(昭和3年)にかけて度々逗留していたといい、客間にこもって画業に専心したといわれていて、近年になって夢二の水墨画など11点の絵が、田井などの旧家で見つかり注目を集めたといいます。